孤独の形は多様でも
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孤独は、多様だ。
筆者は独身やひとり暮らしにまつわる取材をしている。これまでに多くの人が「孤独」について語ってくれた。「寂しさ」や「孤独死」も含め、紙面に載った言葉を集めた。

質問に、重たい球を投げ返してきたのは、昨年84歳で亡くなった元プロ野球監督の野村克也さんだ。
「夜、ぼーっとひとりで、応接間に座ってる。なんともいえないですね。寝るのも食べるのも、だれもそばにいない、話し相手がいないっていう、このさみしさね」(2019年2月10日朝刊)。妻、沙知代さん亡き後の、動かしがたい孤独感が伝わってきた。
孤独は、ひとりのときに感じるとは限らない。お笑い芸人・ヒロシさん(49)はこう話した。

「ぼくはずっとひとりなんで、さみしいって思われてる。でも、何がさみしいかって、一番さみしいのは、大人数のなかで感じる孤独です。コンパでおれだけ話しかけられないとか、テレビで華やかなタレントたちの中に入っていけない、みたいなすごい疎外感。ひとりのさみしさなんかたかが知れてます」(19年1月5日夕刊)
一見和気あいあいとした場も孤独と無縁ではない。

とにかく手をつなげばよい、という話でもない。「みんなで」が苦手な人もいる。集団がしんどいとき、「孤独」は少し、ほっとするような響きを帯びる。
ひとりレジャーの楽しみ方を紹介した「ソロ活女子のススメ」の著者、朝井麻由美さん(35)はいう。
「『ひとりクリスマス』がさみしいのは期待をするからです。家族を描いたCMとかが刷り込まれ、無意識のうちに期待する。でも、自分が幸せかどうかは自分しか決められない。幸せの尺度を外に求めると不幸になるだけだと思いました」(18年4月7日夕刊)
さまざまな在り方が許容されるようにと切に願う。