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今で言う認知症のことを、かつては「
これらの言葉には
国が、それまで広く浸透していた呼称について、意志を持って別の呼び名に切り替える。そう頻繁にあることではないが、この3月末、日本政府はいくつかの変更に踏み切った。
「キエフ」を「キーウ」に、「オデッサ」を「オデーサ」に、「チェルノブイリ」を「チョルノービリ」に――などである。
「今回の呼称変更は、私たちにとって非常に大きな、尊厳の問題につながります」と、在日ウクライナ人のソフィヤ・カタオカさん(32)は言う。ソフィヤさんは自身のフェイスブックで、ウクライナの地名を「キエフ」などのロシア語読みではなく、「キイフ(キーウ)」と〈ウクライナ語読み〉で正しく表記することの大切さを訴えていた。

国や社会があえて呼び名を変えるという行為は、「これまでの呼称ではダメなのだ」という要素を持つ。となると、切り替えにあたって人々は「なぜダメなのか?」を考える。
そうして、▽ウクライナには固有の歴史と文化があり、固有の言葉がある▽にもかかわらず、長年にわたり、ロシアによって言語を含めた『ロシア化』を強いられてきた▽ウクライナについてウクライナ語で表現することは、ウクライナという国を尊重し、その歴史や文化を応援する(=ロシアの侵攻を認めない)ことになる――と思い至る。
改称は、物事を考えるきっかけになる。
ただ、新たな呼び名が定着して当たり前になってくると、「なぜわざわざ変えたのか?」は注目されなくなる可能性がある。
実際、認知症という言葉が生まれた事情を知る人は、今はもう多くないと思われる。では、言葉を切り替えた意味(負のイメージを
「残念ながら、そこは十分ではない」と、相模原市認知症疾患医療センター長を務める大石智医師(47)は指摘する。たとえば、認知症の症状がある人のことを「ニンチ」と表現する向きがある。そこには、その人を軽んじる雰囲気も読み取れる。負のイメージを払拭するために言葉を変えたのに、今は認知症という新たな言葉に負のレッテルを貼ってしまう危険がある。
「言葉を変えるなら、使う側の意識もセットで変えなければならない」と大石医師は言う。認知症とウクライナの問題は違う。しかし、言葉の使い手の責任という点で、通じるものがあるように私は思う。