[読売文学賞の人びと]<1>芸術家気質、社会性が武器…小説賞「ある男」 平野啓一郎さん 43
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第70回読売文学賞の受賞者が決まった。6部門6人の喜びの声を4回に分けて紹介する。
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「青臭い小説だ」「高いレベルの達成だと思う」――。
選考会の評価は真っ二つに割れた。それは、本作が強い肯定や否定をも誘うエネルギーを持つ証しだ。
受賞の知らせに、「デビュー20年の節目の小説に大きな喜びとなりました」と語った。
受賞作『ある男』は、中年に差し掛かった在日3世の弁護士の話だ。かつての依頼人の女性から、事故死した再婚相手が全く別人の名前を使って生きていた、と相談を受ける。
男の過去に何があったか。うそをつき、夫婦生活を成り立たせたその愛は偽りか。謎が解かれるにつれ、読み手の胸を深く締めつける。
「経済格差やグローバル化が進み、人間が自由な意思で自分の人生を切り開ける領域は狭くなっている。苦しい境遇の人がいるとして、その状況を踏まえて書くことが、安易な自己責任論的な人間観に対する批評になると思った」
重い物語には、柔らかなヒューマニズムが漂う。そこには、著者が近年感じる社会の雰囲気が影響した。
「この20年、経済的、精神的に追い詰められた人が増えたと感じる。余裕がある時代の文学には刺激や高度な知的さが求められた。でも、今は文学に『救い』を求めている人がいる。その気持ちを受け止めたい」
弁護士に話を聞き、林業の現場も取材した。中年期の入り口に立つ孤独を抱えた男女のリアルな心理描写は、「若い時に実感できなかった」と話す。43歳の作家が今の自分を全てぶつけた作品となった。
難解な文体の『日●』を京大在学中に発表し、三島由紀夫の再来と騒がれたのは23歳の時だ。「デビュー作に愛着はあるけど、イメージが固定され不自由に感じることもありました」。その後、男女の愛を正面から扱う『かたちだけの愛』や『マチネの終わりに』を執筆。人間は相手に応じて複数の顔を持って良いとする「分人主義」を唱えるなど、自らの幅を広げてきた。(●は蝕の異体字)
SNSなどインターネットを使う本の販売戦略に関心を寄せ、作家や研究者が集まる「飯田橋文学会」の活動を続ける。現代社会に積極的に関わる。
「書きつつ食っていくために、何ができるかは考えています。僕は作家として、それなりにいい生活をしたい。いい服を着るのも、おいしいものを食べるのも好き。行きたいコンサートが10回あれば、2回ではなく10回聞きたいと思います」
幼い娘と息子を育てる父親でもある。「人生が豊かになれば、良い作品が書ける」と、はっきり語る。芸術家気質と社会性を併せ持つのが、作家の最大の武器だ。(文化部 待田晋哉)
脚本、演出、俳優 3割ずつ…戯曲・シナリオ賞「荒れ野」 桑原裕子さん 42

劇作家、演出家、俳優。20歳の頃、仲間と結成した劇団「KAKUTA」を率い、三つの顔で活躍してきた。「三足のわらじのどれもが中途半端ではというコンプレックスと、常に戦ってきた。予想外の受賞を聞いて、脚本を書いてていいんだと言われた気がします」
ある団地の2DK。主の中年女性と、老人と青年が半同居するその部屋に、近くのショッピングモールの火災の延焼を恐れた、知人の中年夫婦とその娘が避難してくる――。
受賞作「荒れ野」を書くきっかけは、愛知県豊橋市の公共ホール「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」と、同市出身の俳優・平田満さんが妻、井上加奈子さんと組むユニット「アル☆カンパニー」から、脚本と演出の依頼を受けたこと。主な出演予定者は自分より20歳ほど年上の世代。出演者は最大6人との指定も、大人数で演じるKAKUTAとは違う。せっかくなら自分の劇団でできないことをと考え、「寄る辺ない大人たちの、家族ともいえない微妙な人間関係の話」が生まれた。
近所で大火災が続く中、団地の8畳間で鍋をつつき合う、どこか奇妙な夜。6人の男女の秘めた真実が、何げない会話に紛れ込む「爆弾」によってあらわとなり、彼らを覆う心の荒れ野が見えてくる。「会話が転がってゆく先を最初から組み立てないで、実験的に書き進んだ。本音を言っちゃいなよ、と登場人物たちと駆け引きしながら」
たまたま入った高校の演劇部で、演劇への情熱に気付き、3年生の時、平田オリザさんの舞台で女優デビュー。KAKUTAでも俳優がメインだったが、脱退した脚本家の穴を埋めるため2001年から脚本も手がけ、文化庁芸術祭新人賞、鶴屋南北戯曲賞などに輝いてきた。作家の桐野夏生さんが好きで、「女性の精神的な自立やたくましく生き抜く方法など、影響を受けていると思う」。
郊外の団地を描くことも多く、人生の大半を過ごしてきた東京都町田市にちなみ、「町田演劇」とも評される。「自然も多く楽しいけれど、
昨年からPLATの芸術文化アドバイザーを務めるなど、地方の劇場の可能性にも目を向ける。今後も、「脚本、演出、俳優を3割ずつぐらい」やってゆく予定で、小説の依頼も受けていると、ためらいがちに明かす。
「さまざまな人生を描き、演じることで自分以外の他者とつながることができる。だから、演劇にひかれている」(文化部 佐藤憲一)
◆70回迎える総合文学賞
読売文学賞は、戦後の文芸復興の一助とする目的で、1949年に創設された。現在は小説、戯曲・シナリオ、随筆・紀行、評論・伝記、詩歌俳句、研究・翻訳の6部門。発表年度の前年11月からその年の11月までに発表・刊行された文学作品が対象。今回の2018年度(平成30年度)は17年11月~18年11月。10人の選考委員による2度の選考会を経て、各部門で最も優れた作品に贈られる。
70回目を迎える日本有数の歴史ある文学賞で、各ジャンルを網羅する総合文学賞としても唯一の存在だ。過去には井伏鱒二、斎藤茂吉、大岡昇平、佐藤春夫、三島由紀夫、室生犀星、正宗白鳥、安部公房、井上靖、遠藤周作、井上ひさし、司馬遼太郎、谷川俊太郎、大江健三郎、村上春樹、筒井康隆の各氏らが受賞。総受賞者数は、今回を含め延べ402人。