志村けんさん「東村山で食べ過ぎたから」…サツマイモが苦手に

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「志村けんの木」として知られる3本のケヤキ(30日、西武線東村山駅前で)
「志村けんの木」として知られる3本のケヤキ(30日、西武線東村山駅前で)

 東京都東村山市出身のコメディアン、志村けんさんが70歳で亡くなった。志村さんは1970年代、ふるさとの民謡「東村山音頭」を独自にアレンジして人気を集め、同市の知名度を全国区に押し上げた。地元では志村さんの死去を惜しむ声が相次いだ。

「志村けんの木」の由来を説明する看板(30日、西武線東村山駅前で)
「志村けんの木」の由来を説明する看板(30日、西武線東村山駅前で)

 志村さんは2015年1月に発行された市広報紙の特集記事で、少年時代はまだ東村山町だった地元は畑が多く、自宅の庭から富士山が見えたと回想。農家の祖父が育てたサツマイモばかり食べていたためか、サツマイモが苦手になったと振り返っている。

 子どもの時から憧れていたコメディアンとなり、「ザ・ドリフターズ」に参加したのは1974年。76年にテレビ番組「8時だョ!全員集合」で、東村山音頭に独自のメロディーと歌詞を加え、ユニークな衣装とともに披露すると、爆発的にヒットした。

 市は同年、市の知名度を高めた功績から志村さんに感謝状を贈呈。西武線東村山駅東口には、77年に志村さんをたたえて植樹された3本の市の木・ケヤキが「志村けんの木」として今も残る。

 市広報紙の特集記事で志村さんは東村山市について、「都心と違って少し時間のすべり方がゆっくりしている。それがまた逆に良いですね」などと思いを語っていた。

 市民からは突然の死を悼む声が相次いだ。志村さんの定番ギャグを冠した名物土産「だいじょぶだァー饅頭まんじゅう」などを販売している同市の「餅萬もちまん」の深井駿社長(37)は「気持ちの整理がつかない。東村山市民にとって、志村さんは地元を有名にしてくれたスーパースター。とても残念です」と肩を落とした。

 市立化成小学校の同級生で飲食店経営の男性(70)は「小学生の頃、2人でクラスメートの前でコントを披露していたことが懐かしい。残念の一言だ」と話していた。

 同市の病院職員の女性(52)は「東村山市のヒーローがいなくなったようで、寂しい。ザ・ドリフターズのコントをよく見ていた。結婚して東村山市に引っ越してきたときには、『志村けんさんで有名な東村山に住むんだ』と思っていた。東村山イコール志村けんさんだった」と悼んだ。

 志村さんは、今夏に予定されていた東京五輪の聖火リレーで走者に選ばれていた。同市のパート従業員女性(64)は「庶民的な人柄が好きだった。聖火ランナーとして市内を走る姿を見たかったのに残念」と寂しそうだった。

     ◇

 都内にある志村さんの自宅前では、近所の住民らが花などを手向けたり、家の前で足を止めて手を合わせたりして、冥福めいふくを祈っていた。

 2人で献花に訪れた近くの女性は「近所を散歩している志村さんの姿をよく見かけたので来た。ニュースで亡くなったと知り、とても残念」と言葉少な。子どもを連れて花を手向けた近くの母親は「志村さんにお会いしたことはないが、花だけでも供えたかった」と話した。

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1138949 0 エンタメ・文化 2020/03/31 10:48:00 2020/03/31 10:48:00 2020/03/31 10:48:00 「志村けんの木」として植樹された3本のケヤキ(30日午前11時36分、東村山駅前で)=北浦義弘撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/03/20200330-OYT1I50062-T.jpg?type=thumbnail

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