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「逆賊」明智光秀、等身大の姿は?…優れた事務処理能力・面目つぶされ行動か

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 「逆賊」の等身大の姿とは――。この謎が今、人々の関心を呼んでいる。「本能寺の変」で織田信長を討った戦国武将・明智光秀のことだ。信長家臣団では「中途入社」組。身を粉にして過酷な任務をこなし、最後はトップにあらがった末に敗死した。NHK大河ドラマ「()(りん)がくる」の主人公で、近江との(えにし)も注目される武将の生き方には、現代人の心を捉える何かがありそうだ。

前半生、乏しい史料

 光秀は清和源氏・土岐氏の一族と伝わるが、前半生をうかがわせる史料は乏しい。足利義昭が永禄11年(1568年)、信長の支援によって(じょう)(らく)を果たし、室町幕府最後の将軍に就いた頃から、義昭の近習と信長の家臣を兼ねる人物として歴史の表舞台に登場する。

 その後、信長に仕え、越前の朝倉義景や摂津の三好衆らとの戦いに明け暮れた。元亀2年(1571年)の信長による比叡山焼き打ちの後、今の大津市から高島市にまたがる志賀の地を与えられ、坂本(大津市)に坂本城を築いて拠点とした。

 天正に改元された1573年前後から、光秀は多忙を極める。

 信長と対立した義昭の軍勢と刃を交え、畿内の敵対勢力との戦いに東奔西走。75年には最大の使命となる丹波平定を命じられるが、越前の一向一揆や石山本願寺の攻略にもかり出された。有力領主の裏切りに遭いながら、丹波をようやく平定するのは79年のこと。その間、過労がたたって倒れ、妻が病没したとも伝わる。

 仕事は戦だけではなかった。

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