[週刊エンタメ]STORY・Official髭男dism ピアノポップバンド<2>山陰⇔東京 過酷な下積み

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 ヒゲダンが山陰で結成されたのは2012年。メジャーデビューは18年。今でこそ飛ぶ鳥を落とす勢いだが、下積み時代が結構長かった。(文・鶴田裕介)

激しいパフォーマンスを見せる藤原(左)と楢崎 写真・TAKAHIRO TAKINAMI
激しいパフォーマンスを見せる藤原(左)と楢崎 写真・TAKAHIRO TAKINAMI

 その間、ボーカル、ピアノの藤原聡は銀行に勤めた。ベースの楢崎誠は警察音楽隊で嘱託職員としてサックスを演奏したり、アルバイトをしたりしながら、音楽を続けた。藤原は「バンドをやるには、やっぱり土日、祝日が休みの方がいいですからね。実際入ってみると、土日も休みじゃないことが結構ありましたけど……」

 平日は仕事、土日はライブという日々。15年にはミニアルバム「ラブとピースは君の中」を発表した。ギターの小笹大輔は「CDを引っさげて、さとっちゃん(藤原)の仕事がない週末、自分たちで車を運転して全国にライブしに行っていました」と回想する。当時の過酷なスケジュールについて、ドラムスの松浦匡希はこう語る。「一番やばかったのは、車で福岡まで行ってビーチでライブして、夕方に岡山まで行って3時間くらい寝て、早朝に愛知県の知多半島に向かい、船で島に渡り、イベントに出て、そこから帰ってきたこと。死んじゃうんじゃないかと思いました」

 仕事をしながらという時間的制約に加え、山陰から福岡、大阪といった大都市に出るのも大変だった。とりわけ、藤原がきついと感じていたのは東京への移動。「ド新人で飛行機で行くわけにもいかないので、夜行バス」。土曜の夜に東京に向かい、日曜の朝に到着。ライブ後、すぐに新宿のバスターミナルに向かい、また夜行バスに乗り込んで帰ってくる。「月曜の早朝に山陰に着くんですよ。家に帰ってシャワーを浴びるだけ浴びて、すぐに仕事に行く。それが一番しんどかったな……」

 睡眠時間も十分にとれず、「喉がガスガスになりながらも、ライブやってました」と藤原。加えて松浦は体が大きいため、夜行バスのイスが体に合わず苦労したという。「メチャクチャ尻が痛かったです」と苦笑いする。

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1402076 0 エンタメ・文化 2020/08/11 17:30:00 2020/08/17 12:12:55 2020/08/17 12:12:55 激しいパフォーマンスを見せる藤原(左)と楢崎 Photo by TAKAHIRO TAKINAMI https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/08/20200808-OYT1I50038-T.jpg?type=thumbnail

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