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初対面で「このババア、ジジイ」…半世紀続く人情味あふれる番組

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 TBSラジオ「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」が放送開始から半世紀を超えた。タレントの毒蝮三太夫(84)が首都圏のスーパーマーケットや商店、工場などを訪問する番組で、聴衆の多くは中高年。「ジジイ、脈を測ってやろうか」「ババア元気か?」などと親しみを込めた毒舌が人気だ。人情味あふれる長寿企画の放送回は、1万3000回を上回っている。(田上拓明)

1969年の放送開始当初、ラジオカーの上に座る毒蝮
1969年の放送開始当初、ラジオカーの上に座る毒蝮

 「番組が始まったのは、1969年10月6日、午前10時半」。アポロ11号が月面着陸したのと同じ年のことをまるで昨日のことのようにすらすらと話す毒蝮。「マイクを持つ手が震え、秋なのに汗をだらだらかいていた」と振り返る。初回放送は企業からのオファーがあるわけもなく、番組スタッフの親戚を頼り、東京都板橋区の自動車部品の下請け工場へ行ったという。

 スタジオ内での収録が基本だった当時、外での取材をメインに据えた同番組は新しかった。さらに当時は「外で中継している時、スタジオ内は休憩」が当たり前。スタジオと取材先をつないで、会話をしながら番組を進めるという、今では当たり前のスタイルも珍しかった。

昨年10月、埼玉県で行われた50周年記念回の現場で、多くのファンに囲まれる毒蝮三太夫(中央)(写真はいずれも、TBSラジオ提供)
昨年10月、埼玉県で行われた50周年記念回の現場で、多くのファンに囲まれる毒蝮三太夫(中央)(写真はいずれも、TBSラジオ提供)

 毒蝮が「ジジイ」「ババア」などと親しみを込めて毒舌を利かせるのが、番組の大きな魅力の一つだが、番組開始当初は、意外にも敬語で丁寧に取材を行っていた。今のスタイルになったのは1973年。毒蝮の母親が他界したことがきっかけだ。番組を数日休み、仕事に復帰した矢先に母と同年代の女性と出会った。

 「このババア元気だな!」。懐かしさ、さみしさ、色々な感情が混ざり合い、普段使っている下町言葉が自然と口をついた。「お袋のこともタヌキババアって呼んでたんだよ。下町じゃ、『おばあさん』なんて呼んでも振り向いてもらえないからね」と笑う。

 放送後、大量のクレームが来ると思いきや、「笑い飛ばすくらいじゃないと人生楽しめない」などと応援する便りが相次いだ。

 「いきなり会ってアッパーカットするようなもんなんだよ」と、これまた“毒蝮節”で説明する。初対面で「ジジイ」「ババア」と言われる衝撃が、むしろ突破口となり、互いの距離が一気に縮まるのだという。

 その“アッパーカット戦法”が番組に勢いをもたらした。「ジジイ」「ババア」を求め、多くの聴衆、特に中高年層が現場に集まるようになった。今では「歩くパワースポット」と呼ばれることも。「俺も『ジジイ、ババア』と言うことで元気になるし、言われた方も元気になるんだよ」

 ただ、大事にしていることがある。それは「必ず目を見てものを言うこと」。毒舌だが、目や表情でその中に秘められた親しみを伝える。相手の顔色や表情を見ながら話すことで、互いの気持ちが通じやすくなるのだという。

 昨今は、匿名でやり取りができるSNSなどでの中傷被害が社会問題となっている。「お互いの顔が見えない状況は、やっぱりひきょう。正々堂々、面と向かって、目を見て話したら、そんなこと言えない。きっと笑っちゃうよ」

 30歳代で始めた番組だが、今はもう80歳代。「民芸品のように、使い勝手が良くて格好良くて、邪魔にならない。そんなチャーミングな年寄りにならないといけない。京都や奈良を、古いからとバカにする人はいないでしょう?」とこれからの“年寄り像”を語る。

 現在は、土曜昼の「土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送」内のコーナーとして放送中だ。「昭和の下町の人情を、令和の人たちにも伝えていきたい。90歳、100歳になっても、ジジイ、ババアって言っていたいよね」

(2020年9月7日夕刊掲載)

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1488731 0 エンタメ・文化 2020/09/19 09:20:00 2020/09/19 10:36:16 2020/09/19 10:36:16 昨年10月、埼玉県で行われた50周年記念回の現場で、多くのファンに囲まれる毒蝮三太夫(中央)(写真はいずれも、TBSラジオ提供) https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/09/20200911-OYT1I50001-T.jpg?type=thumbnail

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