初めは失敗作だった「第九」…当初の演奏会、何があったのか

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[New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。今回のテーマは「第九」。

 年末おなじみの曲といえば「第九」。特に今年は12月16日が作曲したベートーベンの生誕250年とあって、ムードは格別だ。「人類共通の芸術」とも称される名曲だが、なぜか当初の演奏会では散々だった。何があったのか。

ベートーベン自ら指揮台に 初演は…

 第九は交響曲第9番の通称で、合唱付きの第4楽章が「歓喜の歌」だ。本格的な合唱が導入された初の交響曲でもある。1824年5月7日にウィーンで初演された当時、ベートーベンは53歳。死の3年前で、既に聴力を失っていた。

 「聴く喜びを禁じられても、私の言葉こそ神の声だ」。第九の誕生が描かれた映画「敬愛なるベートーヴェン」(2006年)では、ベートーベンがそう言って初演の指揮台に立つ。終演直後は客席の歓声がわからず、振り返って初めて総立ちで拍手を送る満場の聴衆が目に入った。やがて恍惚こうこつとした表情を浮かべ、両手を広げる――。

 劇的なハイライトは史実を基に脚色されたものだが、実際の後日たんは穏やかでない。

大規模な編成、高音の歌…演奏途絶え

 初演の興行は運営費がかさんで失敗に終わり、憤慨したベートーベンは関係者を罵倒したと伝わる。半月後の再演は客席が埋まらず実質の赤字。ドイツの音楽新聞は、第4楽章を短く、分かりやすくせよと書き、「作曲家も聴く力を奪われていなければ、同じように思ったはずだ」と痛烈に批判した。ベートーベンの没後、第九の演奏はほぼ途絶えてしまう。

 背景には、当時のウィーンではイタリアのオペラが流行し、交響曲への関心が薄かったことがある。しかも楽譜に書かれた音は当時の演奏技術や楽器の性能を超え、編成も大規模すぎてプロ奏者がそろわない。練習で高音を歌えなかった独唱者が降板したとの逸話も残る。

 「50年もたてば演奏されるだろう」。ピアノ・ソナタの難曲を手がけた際に豪語した通り、時代を先取りしすぎたのだろう。作曲家ワーグナーが最新の楽器に合わせた編曲で全曲演奏し、第九の再評価につなげたのは22年後。ワーグナーは当初の第九について「作曲家が思い浮かべたメロディーを演奏できていなかった」と書き残している。

 ベートーベン研究で知られる音楽学者の平野昭さん(71)は「第九が当初注目を集めたのは、売れっ子作曲家の新作交響曲という観点から。評価が定まったのは後の時代で、メッセージの明快さ、普遍性が人々をひき付けるようになった」と語る。

 「師走に第九」という習慣は日本独特だ。一説には、ドイツに留学経験のあるNHK職員が欧州の習慣だと勘違いし、1940年の大みそかにラジオで流したのがきっかけという。戦後は楽団員が年越し費用を必要としたこともあり、合唱ブームを背景に定着したといわれる。

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