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心身共に疲弊した宮本浩次、突然の難聴に病院裏の神社に通い詰め…見いだした新たな境地

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 「これ以上やったら、俺、死ぬんじゃないかっていう感じだったんだ」。宮本はうんうんとうなずきつつ、軽く笑みを浮かべた。2012年10月、急性感音難聴を発表。外リンパろうという左耳の病だった。予定していたライブの中止を決めた。

エレファントカシマシ30周年記念ツアーのさいたまスーパーアリーナ公演(2018年3月17日)
エレファントカシマシ30周年記念ツアーのさいたまスーパーアリーナ公演(2018年3月17日)

 宮本がフロントマンを務めるバンド・エレファントカシマシは、1997年の「今宵こよいの月のように」のヒットを経て、人気を確立。99年の「ガストロンジャー」では、メッセージ性の強い歌詞が話題を呼び、2007年の「俺たちの明日」では、明るいメロディーに等身大の言葉を乗せ、人々を勇気づけた。ライブも頻繁に行い、精力的に活動した。「アルバム出す、シングル出す、音楽フェスにも出るって、自分で課していたんだ。そこまでずっと駆け足で来た、強迫観念っていうのかね」

 休むことなくやってきた自分が自慢でもあった。食事がままならなくとも、睡眠時間を削ったとしても、音楽が出来ればそれで良かった。明け方まで根を詰めて作業するのは当たり前。殺気立った宮本が「そこ違う!」と怒号を飛ばし、機器を操作するメンバーの石森敏行が「うわー」と髪をかき乱し、もう嫌だと言わんばかりに頭を抱える。そんな場面も度々だった。

 12年4月に出した「大地のシンフォニー」。レコーディングが翌日に迫る中、徹夜で歌詞を練り、機械の打ち込みでサウンドを作った。「もうね、レコードを出すために。そのためだけに。バンドで会う時間なんてないですよ。練習する時間すらなかった」。そんな頃、親も体調を悪くする。心身共に疲弊していた。

 2週間ほど入院し、治療に専念した。早期に処置したこともあり、医師は大丈夫だと言った。でも、「俺、耳聞こえなくなっちゃうんじゃないかって。実際、左耳は聞こえなかった。歌えなくなるかもしれない。それが怖かった」。毎日、病院の裏にある神社にお参りに向かった。「聞こえるようになりますようにって。なんでそういう時って、神頼みなんですかね」

 1か月、2か月、3か月……。ワァンワァンと響く耳鳴りにも慣れ、こういうものだと受け入れた。そして、自身の体の不具合や親の不調という、今までのように、皆がただ元気でいられるわけでない年齢を迎えたことも受け入れた。「時間はかかったけど、結局は聞こえるし、大したことじゃないというか。大切なのは、休まったこと。もうギリギリだったから。そこではっきり思った。その前からメンバーには言ってたけど、ソロをやりたいって」

 エレファントカシマシのデビュー30年を一つの目標に据えた。17年の、ベストアルバム発売、ツアーのスタート、NHK紅白歌合戦出場。18年の、ツアー締めくくり、同時代を駆け抜けてきたスピッツ、Mr.Childrenとの共演。どれも成功を収め、宮本は次のステージに目を向けた。(池内亜希)

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1731873 0 音楽 2020/12/26 08:46:00 2021/04/26 16:31:51 2021/04/26 16:31:51 2018年3月17日「30th ANNIVERSARY TOUR "THE FIGHTING MAN" FINAL さいたまスーパーアリーナ」 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201221-OYT1I50035-T.jpg?type=thumbnail

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