秀吉の関東攻めで落城、八王子の城跡から未知の建造物の礎石…調理場?サウナ?
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戦国時代末期に豊臣秀吉の関東攻めで落城した八王子城の城跡(東京都八王子市)で、政務を執り行った「御主殿跡」に未知の建造物の礎石が見つかった。存在した建物は賓客のための料理をする調理場か、それともサウナを楽しむ湯屋なのか――。関東屈指の山城に新たな謎が加わった。(小沢勝)
八王子城は16世紀後半、戦国武将の北条氏照が築城した。落城後は徳川家の直轄地となり、明治以降は国有林として管理された。遺構の保存状態は良好で国指定史跡にもなっている。だが、当時の城郭を伝える史料は少なく、池水や巨石を配した庭園跡も確認されてはいるものの、建造物の詳しい配置はまだ判明していない。
同市教育委員会は、城のある深沢山(城山)山腹の御主殿跡で11月9~30日、7年ぶりの発掘調査を実施。氏照が賓客や使節を招いた「会所」の隣接地で発掘を進めたところ、柱の跡がある礎石が地下約60センチから複数個見つかった。未知の建造物があったと推測され、内部には囲炉裏のような石組みもあり、土壌は熱を受けて変色していた。
会所は当時、賓客をもてなす宴席に使用されていた。同市教委によると、戦国時代には宴が開催される前、湯屋という建造物で賓客に蒸気浴を提供する習慣があったという。
今月1日に現地を視察した国立歴史民俗博物館の小野正敏名誉教授(中世考古学)は「何らかの建造物があり、内部で火を使用していたとみられる。土間と板張りの床があった形跡もある。湯屋なのか調理場なのか、色々と想像はできるが、これだけの史料ではまだ断定にはいたらない」と語った。
発掘ではこのほか、室町時代から江戸時代初期まで流通した銅銭の永楽通宝や火縄銃の鉄弾、陶磁器のかけらなどが見つかった。
市教委は2日、今回の発掘地点を保全措置を施した上で埋め戻した。次回の発掘調査では範囲を拡大し、新建造物の用途、規模などを特定したい考えだ。
同市では今年6月、氏照が信仰した高尾山を中心とした一連の文化財・生活文化が文化庁の「日本遺産」として認定されている。その重要な構成要素・八王子城で戦国武将らの生活に迫る遺構が見つかったことは、戦国の歴史に新たな彩りを加えるものとして注目されそうだ。