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芭蕉は郡山でも一句詠んだ?…「奥の細道」には未収録だが古文書もとに句碑

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 安積山 かたびらほして 通りけり

 江戸時代の俳人・松尾芭蕉(1644~94年)が、俳諧紀行文「奥の細道」の旅の途中、郡山で詠んだと伝えられる句だ。奥の細道に未収録で由来を疑問視する研究者もいるが、福島県郡山市清水台の安積国造くにつこ神社で1年半前、言い伝えを補強する江戸後期の文書が見つかった。それを受けて昨年、市内で相次いで句碑が建てられた。(佐野泰彦)

昨年建てられた句碑の前に立つ安藤宮司(郡山市の安積国造神社で)
昨年建てられた句碑の前に立つ安藤宮司(郡山市の安積国造神社で)
安積国造神社で見つかった「安藤親重覚書」
安積国造神社で見つかった「安藤親重覚書」

 同神社64代目宮司の安藤智重さん(53)によると、この句は安積山(郡山市日和田町)を夏の暑い日、かたびらという衣服をまるで干すようにして歩いたという意。芭蕉没後約130年の1827年、俳人・茂呂何丸もろなにまるが記した芭蕉全集「芭蕉翁句解くげ参考」には「浅香山 帷子ほして 通里介李」と掲載され、奥の細道の選からは漏れたと記されている。

 後世の全集で、芭蕉自身が記したものではないため、研究者の間では「芭蕉が詠んだ句かどうかは確実ではない」と評価されてきた。

 しかし、安藤さんがある文書を神社の資料室で発見し、風向きが変わりつつある。1831年に55代目宮司が書いた「安藤親重ちかしげ覚書」だ。覚書の余白には「(神社近くの)善導寺には芭蕉の百回忌に合わせてこの句碑が建てられたが、1807年の大火で紛失してしまった」という意味の記述があった。

 安藤さんは「当時、郡山俳諧の中心人物らが、句碑を善導寺に建てて供養し、『芭蕉の作品だ』という共通認識を持っていたことがうかがわれる。句解参考とともに二つの方向から史料が出てきて、芭蕉の句という信頼性が高まった」と説明する。

 新史料発見を受け、同神社は昨年4月、境内にこの句を刻んだ石碑を建てた。善導寺にも同12月、同様の石碑が建てられた。同寺では、江戸時代の郡山俳諧の中心的存在で、檀信徒でもあった佐々木露秀ろしゅうの句碑なども併せて設けた。

 郡山市には元々、万葉集や古今和歌集に詠まれている歌枕「安積沼の花かつみ(学名はヒメシャガ)」があり、芭蕉は奥の細道の旅で郡山に1泊。安積沼や花かつみの姿を求めて訪ね歩いたという。安積山に整備された公園には、奥の細道の石碑も建てられている。

 安藤さんと善導寺住職の中村隆敏さん(72)は「芭蕉に関する石碑が次々と完成したので、歴史ファンの方々が訪れるきっかけにしたい。実際に見てもらい、芭蕉が郡山で充実した道中を過ごしたと知ってほしい」と話している。

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1776370 0 エンタメ・文化 2021/01/17 17:26:00 2021/01/17 17:26:00 2021/01/17 17:26:00 芭蕉が詠んだとされる句の前に立つ安藤宮司(郡山市の安積国造神社で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210116-OYT1I50068-T.jpg?type=thumbnail

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