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奈良・平安期の「東海道」跡を発見、道幅16m…元々は日本書紀に登場する「倉歴道」?

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 滋賀県栗東市の縄文時代~近代の複合遺跡・高野遺跡で、古代の官道「東海道」の跡が見つかり、県文化財保護協会が28日、発表した。出土した土器などから奈良時代後期~平安時代前期に存在し、道幅は約16メートルだったと判明。同協会は「不明な点が多い古代の官道のルートの一部を特定できたのは貴重な成果だ」としている。(渡辺征庸)

古代の「東海道」が見つかった高野遺跡。発掘担当者が立つ位置に対になる側溝跡があり、道幅は約16メートルとみられる(栗東市で)
古代の「東海道」が見つかった高野遺跡。発掘担当者が立つ位置に対になる側溝跡があり、道幅は約16メートルとみられる(栗東市で)

 古代東海道は、飛鳥時代には現在の奈良県から三重県伊賀地方を抜け、東国へ延びていたとされる。長岡京遷都(784年)以降は道筋が変わり、滋賀を通過するようになったという。

 今回の調査地は、土地区画の形状から東海道のルートと推定され、同協会が2018年度から発掘。19年度に道路脇にあったとみられる溝跡1本が出土していた。

 20年度の調査では、東西約100メートルの範囲で、東西平行に延びる計3本の溝跡(幅約1メートル、深さ20~50センチ)が出土。うち2本は約16メートル離れて対となっていたため道路遺構と判断した。

 古代東海道の跡は、曲金北遺跡(静岡市)など各地で確認されている。滋賀県内では栗東市の上鈎かみまがり下鈎しもまがり東両遺跡で側溝とみられる痕跡が見つかっているが、道路両端の側溝跡がそろって出土し、道路跡と明確に確認されたのは初めてだ。

 調査地では、古墳時代の竪穴建物跡なども出土したが、いずれも飛鳥時代前半に埋没し、その後に道が造られた痕跡があった。このことから、中村太一・北海道教育大教授(日本古代史)は、「元々は日本書紀に登場する『倉歴道くらふみち』として飛鳥時代後半に整備された道で、奈良時代後期~平安時代前期に東海道として使われ続けたのでは」と推測する。

 高野遺跡周辺は河川に挟まれており、水害が頻発したとみられる。江戸時代に整備された近世東海道は同遺跡の約120メートル南に位置しており、同協会は「水害の影響で、近世東海道の位置にルートが変更されたことも考えられる」としている。

 新型コロナウイルスの影響で現地説明会は行わない。問い合わせは同協会(077・548・9780)。

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1806170 0 エンタメ・文化 2021/01/29 15:58:00 2021/01/29 15:58:00 2021/01/29 15:58:00 古代の「東海道」が見つかった高野遺跡。発掘担当者が立つ位置に道路北側の側溝があり、道幅は約16メートルだったとみられる(栗東市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210129-OYT1I50028-T.jpg?type=thumbnail

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