[読売文学賞の人びと]<5>池田澄子さん
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「此処」から何処かへ 句読点に
詩歌俳句賞
句集「此処ここ」 池田澄子さん 84

「じゃんけんの句、好きです」。そう話しかけられることが多い。
第1句集に収められた〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉のことだ。俳句の枠にとらわれない、軽やかな口語表現で「池田澄子」の名を世に知らしめた。
「ありがたいんだけど、あれは昭和時代の句。それからどれだけ作ったことか」。ケラケラと笑うが、無季新興俳句で知られる師・三橋敏雄の下で、己の俳句に厳しく向き合ってきた自負ものぞく。
受賞作『此処』(朔出版)は4年ぶりの第7句集。〈此の世の此処の此の部屋の冬灯〉から始まり、〈こころ此処に在りて涼しや此処は何処〉〈また此処で思い出したりして薄氷〉。句をまとめてみて、自分が「此処」という言葉にこだわってきたことに気づいたという。「たまたま人に生まれて此処にいて、でも此処は
此処は彼の世ともつながる。〈春寒の夜更け亡師と目が合いぬ〉〈あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら〉。師や2年前に亡くした夫をふと身近に感じる。戦没者を弔い、被災地を案じ、わが来世にも思いをはせる。小さな日常を詠みながら、此処は時空を飛び越え、なるほど広く何処にでも通じている。
表現者としての原点は戦争体験だ。敗戦の前年、軍医だった父が中国で戦病死した。「人は死ぬんだ、ということを知った」8歳の少女は、此の世のはかなさを詩にしたためた。だが父には届かない。相手に届く言葉を書きたい、そう願って表現方法を模索し続け、40歳近くになったある日、「ひょい、と俳句(の世界)に入っちゃった」。雑誌で口語俳句を知り、引きつけられたのだ。
三橋からは「誰とも似ていない俳句を作れ」と指導され、月1回の句会で個性を磨いた。句に自らを投影しているように思われるが、創作の部分もあると明かす。「いっぱいの人を写生していて、たまたま私もその一人、という感じ」。自らを客観する冷めた目も持ち合わせる。受賞作について選考委員からは「前衛でもなく伝統でもなく、池田澄子らしさを極め、しかもみずみずしい」と評された。
句集を出すことで人生に区切りを付け、生き直しているような感覚があるという。受賞の知らせを受けたのは、身近な人々を見送り、「次はどっちに行ったらいいのか」、考えあぐねていた時だった。「もう一回、生まれ変わればいいんだとポンと肩をたたかれた気がします」
次の日々へ足を踏み出す。また、此処から。(文化部 松本由佳)