[読売文学賞の人びと]<6>角田光代さん
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敬語省き 疾走感を重視
研究・翻訳賞
「源氏物語」(全3巻)訳・角田光代さん 53

「本当に私でいいんでしょうか?」。受賞の知らせに、思わずそう答えた。小説執筆から離れて5年間、紫式部の大きな世界に挑み、疾走感あふれる訳文を生み出した。
「運命と宿命の物語に全身で分け入り、人々が生きるさまを間近で見ることができた時間でした」
源氏物語にはこれまで、与謝野晶子や谷崎潤一郎ら多くの文学者が魅了され、現代語に訳してきた。自身は「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」(河出書房新社)の企画の一つとして依頼されたが、先人とは異なり「特別な思い入れはなかった」。しかし、だからこそ訳せるものがあるはず。依頼を受けてから、様々な人の訳文を読み、「読みやすさ」に主眼を置くことを決めた。
源氏物語は、尊敬語や謙譲語の使い方で身分の微妙な差や関係性が分かる。その敬語を省くという大きな決断をした。「物語には駆け抜けるみたいに読んだほうが、つかまえやすいものもきっとある」
女性たちと浮名を流し、好き勝手に生きていった光源氏のイメージも訳していくうちに変化していったという。「序盤は人間として描かれておらず、女性の運命を左右する象徴だった。それが老いていくにしたがって、人間らしくなっていった」
直木賞受賞作『対岸の彼女』や『八日目の蝉』などで、女性の葛藤を書いてきた。源氏物語にも多くの女性が登場する。中でも印象深いのは、光源氏没後の物語「
「1000年後の今なら、誰かに頼らなければいけないという立場から浮舟を逃がし、全力で走らせてあげられると思った。彼女の行く末を思い描くことで、この物語は私たち読み手のものになるんじゃないでしょうか」
長い翻訳作業を終えて自らの創作の世界に戻り、現在は読売新聞朝刊で、現代女性を主人公に、戦争、パラスポーツなどがテーマの「タラント」を連載中だ。そこに源氏を翻訳した経験は生きているのか。
「いや、自分にどんな筋肉がついたかがわかるのは、5年後ぐらいかもしれないですね」。静かに笑う。
ただ、確かなこともある。源氏物語の輝きは作家の中で増している。「あまり重要ではない部分を省いて意訳すれば、もっとスピード感のある物語にできるんじゃないかな。実はこう思っているんです。60歳になったら、もう一回訳してみたいって」
(文化部 池田創)
(おわり)