吉村昭が生前、公表しなかった「別名」…少年雑誌に子供向け冒険小説を連載
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「三陸海岸大津波」「戦艦武蔵」など史実に基づいた重厚で

「19歳の時から傾倒してきた」という桑原さんは吉村没後、同好の士と研究会を結成。季刊誌「吉村昭研究」を13年にわたって発行し、昨年8月には袖ケ浦市のアパートに「吉村昭文学資料館」を開いて、50年以上かけて集めた著作や雑誌記事などを公開している。
昨年12月には吉村の妻で作家の津村節子さんが長男の司さんと訪れ、吉村の学生時代の作品まで保管されているのを見て「クレージーよ」と感嘆していたという。
桑原さんは約10年前、吉村が「速水敬吾」という筆名で子供向けの冒険小説を書いていたと聞き、国立国会図書館に通って講談社が刊行していた「たのしい六年生」などに計8作品が掲載されていたことを確認した。「敬吾」は戦死した吉村の兄の名からとったとみられる。
桑原さんによると、吉村は生前、「速水敬吾」名の作品について語っておらず、公表するのを控えていたという。しかし、来月は吉村文学が改めて注目されることになった東日本大震災から10年を迎えることも踏まえ、「記録文学とは異なる趣の作品もあることを広めたい」と話す。3月1日号の季刊誌で公表した。
「速水敬吾」作品の連載「ヘッドライト」には吉村が66年に太宰治賞を受けた小説「星への旅」とのつながりがある。桑原さんは「第8話『平和な漁村』に登場する『島の越』という漁港は『星への旅』の舞台となった岩手県田野畑村の地名に由来する」と指摘。吉村夫婦は毎年のように同村を訪れ、三陸鉄道リアス線
「ヘッドライト」が連載されていた61~62年、吉村は繊維業団体で働いていた。「そこに田野畑村出身の役員がいて、吉村さんを旅に誘った。村のイメージを『星への旅』以前に『ヘッドライト』で生かしたのでは」と桑原さんは推測する。
「速水敬吾」作品は単行本などにまとめられていないが、「吉村昭文学資料館」で掲載誌のコピーを読むことができる。入館料大人1000円、高校生500円、小中学生無料。事前予約が必要。問い合わせは桑原さん(080・6393・2549)へ。