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ランチをのぞけば、人生が見えてくる――。
部外者立ち入り禁止の社員食堂から青空の畑まで、働く人々のお昼模様を中井貴一がハイテンションで伝えるNHK総合「サラメシ」(火曜後7・30)が5月で10周年となる。仕事と昼食をセットにしたアイデア番組は、いつしかNHKの大看板になり、カメラはほぼ全都道府県を駆け巡った。肉増しならぬ“コメント増し”で攻めのナレーションを貫く中井は、「家庭から職場までみんなのちょっとしたやり取り、小さな気持ちの積み重ねが番組のすべて」としみじみ語る。(読売新聞オンライン 旗本浩二)

職場×ランチ「これならイケる」
「サラメシ」は2011年5月、土曜の夜11時半からの番組としてスタート。職場とランチに「ここまで特化したニッチな企画は民放にもない」。イケると直感したのは、制作するテレビマンユニオンの松葉直彦プロデューサーだ。以来、8人ほどのディレクター陣がほぼ変わらぬまま、「自転車操業で綱渡りを続けてきた」。

中井がスタート当初を思い起こす。「なんで夜中の11時過ぎからの番組で昼飯のことを……。だったら、みんなの頭の中をいったんお昼時に切り替えて、翌日の昼を思い描く時間にしようって考えた。それで明るい声のトーンで台本を読んでみたんです」。それが今も続くあのテンションだ。
最初は10本で終わると中井は聞かされていたが、じわじわと火がついて人気番組に。16年には午後8時台に“昇格”を果たした。実はこの時、中井は退くことも考えたという。「僕は夜中を昼にするためにやらせてもらっていた。8時台になると今度はファミリーを意識しないといけなくなる。11時台は攻めていたのに、それが丸くなっちゃうんじゃ、僕でなくてもいいかなって」。だが、制作側はそれまで通りのしゃべりにゴーサイン。同じ調子で中井が挑んだところ、ファミリー層にも刺さっていった。
「何があっても、人は食べる」
「あ、あの中井さんの番組でしょ」
開始から4年ほどすると、取材依頼の電話時にそう返ってくるようになった。松葉プロデューサーには忘れられない思い出がある。20代の同期入社の男性3人組が公園で並んで弁当を食べている取材映像を見た際、「これなら、番組を続けられるかも」と自信を持ったのだ。1人がほかの2人のために弁当を作ってくるそうで、「本人たちは何の違和感もなく堂々としている。掘っていけばいろいろネタはあると確信できた」。

職場訪問のほか、写真家・阿部了による“お弁当ハンター”、ディレクターが取材相手と1対1で食事をする「さし飯」、社長のお昼をのぞく「社長メシ」など、番組は様々な企画で構成。ランチへの思いを川柳にしたり、料理をジェスチャーで表現してもらったり多種多様で、鳥取県以外の全都道府県で取材を行った。中でも、今は亡き著名人が好んだ料理を紹介するコーナーや海外ランチ事情の現地リポートには、予想以上の反響が寄せられるという。
もちろん苦境に陥った人々にカメラを向けることもあるが、「誤解を恐れずに言えば、何があっても結局、人は食べる。番組を作る側なのに、取材先にそれを教えてもらっている」。また、米国大使館、刑務所、定年退職の日を迎えた職場など、普段、なかなか入り込めない場所も紹介。自転車操業と言いながら、南極観測隊の料理人にカメラを渡して伝えてもらった回は、放送まで7か月を要した力作となった。制作サイドにとっても、ランチを武器に表現領域が広がっているようだ。
ウソをつかない、それが鉄則
今では番組サイトの視聴者投稿フォームに、企業などからの売り込みも紛れ込む盛況ぶり。それでも番組には大きなルールがいくつかある。
一つは、ウソがないこと。番組収録のためにお弁当が普段より豪華だったり、職場がロケハン時よりも整理整頓されていたり。テレビクルーが来るとなれば、つい気張ってしまうのが人情だ。「普段と違う状況は極力、ナレーションに反映しています」
また、当たり前のことに価値を見いだし、ありのままの暮らしを肯定するよう努める。「(昼食という)ごく普通のことが面白がられているんですよ。今のテレビにはそれが足りていないと気付かされた」。さらに、制作時の自由な発想と取材先への配慮も忘れない。中井も、「上から絶対にものを言わないのが『サラメシ』。常に取材をさせてもらい、生活をのぞかせていただいている気持ちでナレーションにも臨んでいる」。人気の秘密は、この謙虚さにあるのかもしれない。

中井は、ナレーションにアドリブをふんだんに取り込む。「収録前日にどんなニュアンスで読むかをチェックするんですが、アドリブ部分はものすごく時間がかかる。話せる秒数ぎりぎりまで文字を詰め込むのがテンポを出すための条件。わざと言葉数を多く書き込んで、それをわーっとしゃべるようにしている。だけどその分、自分で自分の首を絞めているのかも」
「ささいなことからしかスタートできない」
この10年、中井が大切にしてきたのは、誰かを思いやる気持ちと、それにより生まれる「小さな喜び」だ。ある家庭では、母親がイチゴをお弁当箱に詰める際、子どもには実の方を入れて、夫にはへたの側ばかりを入れていた。それが番組取材の日は違った。
「職場でご主人が、『今日は実の量がすごく多い』って喜んでいた。そこなんですよ。この番組は、おいしいものを集めているのではなく、家族にお弁当を作ってあげるとか、ちょっとした気持ちのやり取りを伝えているだけ。そうしたやり取りが家族の絆を作ったり、社会の基礎を築いたりする。その結果、日本の民度も上がる気がする」

そうした視点が、政治家をはじめ今の世の中に欠けているとみる。「結局、ささいなことからしかスタートできないんですよ。その意味では、『サラメシ』に投稿したいからお弁当を作り始めるとか、そういうことが起きているのは、とってもうれしいし、(番組をきっかけに)自分で何かを作り出している人が増えているような気もする」
ランチをのぞいて見えた人生
ただ、食事の場面が最大の見どころのため、コロナ禍による制約は他の番組以上に深刻だ。緊急事態宣言下ではロケにも出られない。松葉プロデューサーは自身もお気に入りの「さし飯」が盛り込めないのが残念でならない。
「27分の番組に4分間、あのコーナーが入っているだけで、ほかにどんなにハードなネタを入れたとしても、一度、窓を開けて換気したみたいに空気がすっと通る。2回に1回は入れたかったのに……」。それでも開き直って、投稿者にむちゃぶりをお願いする「おまかせサラメシ」、撮影機材開発から取り組んだ「リモート街頭ロケ」など斬新な企画を連打。もちろん過去の映像も織り交ぜ、かつてとそん色のない出来栄えとなっている。

ランチをのぞけば、人生が見えてくる――。これは開始当初にスタッフの指針として作ったキャッチコピーだが、確かにこの10年間、全国津々浦々のお昼を垣間見る中で、職場や家庭の“本音”を番組は見事にすくい取ってきた。「仕事と昼飯を同時に撮る仕組みにより、(その人の人生を)本当に感じられるようにもなっている。このコピーもあながち間違いではなかったのかもしれないですね」。あまたあふれるグルメ番組とは一線を画し、凝縮された人間ドキュメントにまで成長している。
新年度初回となる4月6日は、特別養護老人ホームに勤める娘のために母親が作り続けたお弁当や、閉店を迎えた東京芸術大・学生食堂の店主の昼食を紹介する。
◆中井 貴一 なかい・きいち。1961年9月18日生まれ、東京都出身。81年、映画「連合艦隊」でデビュー。「ビルマの竪琴」、「四十七人の刺客」「壬生義士伝」などの映画のほか、「ふぞろいの