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新年度を迎えました。入学、就職、転居などで心機一転の方も多いと思います。先人が経験を踏まえて語った名言に耳を傾け、励みにしたり、ヒントを得たりするのはいかがでしょうか。新入学の時期でもあるので、動画を12本(1ダース)そろえました。全4回のシリーズです。2011年4月から7年かけて、古今の名作に登場する珠玉の言葉や、舞台となった風景を紹介したコーナー「名言巡礼」からは九つの言葉を選びました。初回は、松下幸之助、鳥井信治郎、上杉鷹山の言葉です。
(見出しや写真をクリックしてください。動画のテロップは公開当時のものです。「名言巡礼」は、言葉の説明の後に、動画公開当時の原稿を抜粋して紹介しています)
「希望をもって歩むならば 必ず道はひらけてくる」
日本を代表する総合家電グループを築き、「経営の神様」と呼ばれた実業家・松下幸之助(1894~1989年)の言葉。
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大阪市福島区の野田駅前の商店街を進むと、町工場が点在する
〈広い時もある せまい時もある のぼりもあれば くだりもある〉
幸之助の生涯も
和歌山の地主の家に生まれたが、幼い頃に父が米相場で失敗。兄や姉が相次いで病没し、9歳で単身、大阪へ奉公に出る。火鉢店、自転車店、電灯会社と転じ、一念発起して独立。路地に面した2階建ての借家で創業し、プラグなどの製造販売を始めた。
事業が軌道に乗り、22年に本店・工場を建設。翌年、電池式自転車ランプを開発したが、先に出回っていた同様の製品の質が悪かったため、問屋などに取り合ってもらえない。在庫を大量に抱えた。昭和初期の不況の際は、生産を半減するが従業員は解雇せず、給料を全額支払うと宣言。感激した従業員は懸命に営業活動した。
〈希望をもって歩むならば 必ず道はひらけてくる 深い喜びも そこから生まれてくる〉。路地が入り組んだ大開から、幸之助は、希望とともに歩み始めたのである。(名言巡礼 松下幸之助の言葉から 大阪市福島区、2017年4月23日公開)
「やってみなはれ、やらなわかりまへんで」

サントリーグループ創業者・鳥井信治郎(1879~1962年)の言葉。自伝や様々な評伝などに引用されている。鳥井は20歳で独立、鳥井商店を起こす。昭和の初めに「サントリー」の商品名で国産ウイスキーを発売した。巧みな宣伝による経営感覚にも優れ、後に「トリス」や「オールド」など多くのブランドをヒットさせた。2014~15年に放映されたNHKの連続テレビ小説「マッサン」で、俳優の堤真一が演じた豪放
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鳥井が国産初のウイスキー造りへ生涯最大の賭けに出たのが1923年、今も同社の主力銘柄を産する山崎蒸留所(大阪府島本町)の建設だった。なぜ山崎の地だったのか。天王山の竹やぶの地下から湧き出る、良質な水。桂川、宇治川、木津川の三つが合流することで立つ
だが、建設から6年を経て売り出された最初のウイスキーは、それまでの模造品を飲み慣れた消費者には「焦げ臭い」と評判が悪く、全く売れない。原料の麦芽をいぶす時に使うピート(泥炭)も多すぎた。
どんな原酒も時を経れば熟成を重ね、味わいも香りも深い陰影を刻む。年代や寝かせる
「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」

山形県南部に位置する米沢藩中興の祖である上杉
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高鍋藩主の次男として江戸に生まれた鷹山は、世継ぎのなかった米沢藩主・上杉重定の養子に迎えられる。15歳で名門の家督を継いだ鷹山は、巨額の負債を抱え、財政難に苦しむ藩の立て直しに心を砕く。
倹約令にあらがう守旧派の重臣たち。長雨や日照りなどによる
この一通の書状は、実子・