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本田宗一郎・渋沢栄一・尾崎行雄…心機一転の春、動画でふれる珠玉の名言<2>

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 新年度を迎え、心機一転したい方に贈る名言集の2回目です。2011年4月から7年間続いた「名言巡礼」から、本田宗一郎、NHK大河ドラマ「青天を()け」の放送で「日本資本主義の父」として改めて注目される実業家・渋沢栄一、尾崎行雄の言葉を取りあげます。
 (見出しや写真をクリックしてください。動画のテロップは公開当時のものです。「名言巡礼」は、言葉の説明の後に、動画公開当時の原稿を抜粋して紹介しています)

「いちばん大切なのは試したり」

 ホンダ創業者・本田宗一郎(1906~91年)の言葉。1960年刊行の自著「ざっくばらん」などに収録されている。本田は46年にホンダ(本社・東京都港区)の前身である本田技術研究所を浜松市で創業。オートバイやF1のレースに参戦して優勝するなど、ホンダの技術力の高さを国内外にアピールした。89年には日本人初の米国自動車殿堂入りを果たす。
    ◇
 本田は、山林と清流に恵まれた静岡県光明(こうみょう)村(現浜松市天竜区)で生まれた。地元にある本田宗一郎ものづくり伝承館では、その功績を顕彰している。館内に入ると、本田の左手を描いたパネルが目に留まる。主だった傷痕と、その由来が記されている。たくさんの傷は、何でも自分で試してみたという、伝説のエンジニアの履歴書でもある。
 「人生は見たり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっているが、その中でいちばん大切なのは試したりであると僕は思う」。自著の中で、本田はこう語っている。
 経営は信頼する仲間に任せ、自らは技術開発の陣頭指揮を執り続けた。町工場から始まったホンダが世界的な企業に成長してからも、生産現場へ足を運び、挑戦にちゅうちょすると、「やってみもせんで、何がわかる」と、雷を落とした。
 本田の生家は鍛冶屋で、後に自転車の修理・販売業を始めた。わんぱくなチャレンジの逸話は、今も天竜で語り継がれている。母校の光明小学校に立つ碑には、年齢の離れた後輩たちに贈った、「試す人になろう」というメッセージが刻まれている。(名言巡礼 本田宗一郎の言葉から 浜松市天竜区、2017年7月2日公開)

「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」

 渋沢栄一(1840~1931年)の言葉。「論語と算盤(そろばん)」に収録されている。同書は、渋沢を慕う経済人らの組織「竜門社」の機関誌に掲載された訓話を編集し、1916年に出版された。
    ◇
 渋沢は黒船来航の13年前、埼玉県深谷市北部ののどかな土地で生まれた。実家は養蚕や染料の藍玉販売で潤った農家。家業を手伝う一方で、従兄(いとこ)の尾高惇忠(じゅんちゅう)のもとで「論語」などを学んだ。温厚かつ勇猛。青年期は攘夷(じょうい)思想に染まり、江戸で剣の腕も磨いた。維新後、大隈重信に説得されて新政府に加わり、財政改革に従事し、富岡製糸場の創設にも努めた。民間が力をつけなければ富は行き渡らず、国家は前進しないと栄一は考え、政府を辞し、「論語」を支えに実業界へと転じた。
 金銭はいやしいものでない。欲求や欲望はモノや富を生む原動力となる。ただし、おのおのが正しい稼ぎ方、使い方をしなければ経済は循環しない。「論語」すなわち道徳と、「算盤」すなわち経済は一致させる必要がある――。そう考え、実践した。日本初の銀行をはじめ約500の企業に関わったが、閥はつくらず、公と私は「(ちり)一本でも」混同せず、信用を第一にした。
 一方で、商業学校、女子学校、福祉施設の設立など約600の社会事業に尽くした。製紙、紡績、海運、鉄道、ホテル、大学、病院……。現在まで続く事業は多数ある。今を生きる多くの人が、どこかで栄一とつながっている。(名言巡礼 渋沢栄一「論語と算盤」から 埼玉県深谷市、2015年12月13日公開)

「人生の本舞台は常に将来に在り」

 「議会政治の父」と称された政治家・尾崎行雄(1858~1954年)の70代なかばの言葉(1933年)。尾崎は1903年(明治36年)から9年間は、請われて東京市長も兼務した。
    ◇
 1890年(明治23年)の第1回総選挙から連続25回当選、1953年(昭和28年)まで63年間も衆院議員を務めた尾崎。号は「咢堂(がくどう)」。晩年94歳になってもなお、震える筆で「人生の本舞台は――」としたためた。その書は、国会議事堂の前に立つ憲政記念館に掲げられている。
 尾崎が「議会政治の父」「憲政の神様」と呼ばれるのは、記録的な当選回数と在任期間の長さゆえではない。藩閥や軍部など、議会をないがしろにする勢力と常に対決してきたからだ。
 選挙区は三重県南部、中心は現在の伊勢市である。市内を流れる宮川のほとりに、尾崎咢堂記念館が桜並木を見守るように立っている。
 昭和の初め、尾崎は盟友の犬養毅を5・15事件で暗殺され、療養中の夫人も亡くした。自身も病床に伏して打ちひしがれていた時、まるで天啓のように「人生の本舞台は――」の言葉が頭に浮かんだという。軍部の台頭に無力感を抱いていた尾崎は、闘志を取り戻していく。
 自らがまず、この箴言(しんげん)によって失意の底から復活したのである。70代なかばのことだった。(名言巡礼 尾崎行雄の言葉から 三重県伊勢市、2018年2月11日公開)
 補記:動画では、伊勢神宮や近くの「おかげ横丁」、伝説の名投手・沢村栄治の生家跡と墓も見ることができます。

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1954487 0 エンタメ・文化 2021/04/02 10:30:00 2021/04/04 21:01:09 2021/04/04 21:01:09 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210328-OYT8I50006-T.jpg?type=thumbnail

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