読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

「終わりにするのがあまりにもったいなくて」…予期せず原点回帰した小曽根真

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

<STORY3>

 1984年、世界デビューを果たした小曽根は、米国を拠点に、ソロに加え大物ビブラフォン奏者のゲイリー・バートンのバンドの一員として精力的に活動を展開した。知名度のあるバートンのライブで、自身のアルバムの曲を1曲披露する機会も与えられた。

 「ゲイリーは文字通り僕の恩人です。『お前は話はできるが、聴くことができない』とよく言われた。共演者のソロを表層的にとらえ、自分のソロを組み立てるだけではダメで、その行間ににじむ真意をくみ取ってこそ、優れた演奏になるということ。まさにジャズの神髄を教えられました」

奥西義和撮影
奥西義和撮影

 89年に帰国。ちょうど所属レコード会社との契約も満了となっており、バートンのバンドもやめ、心機一転、日本で再出発することになった。

 「率直に言って、米国時代の自分はおごっていた。子供の頃からの経験で技術には自信があってロクに練習もしなかった。バークリー音楽大学卒業後は帰国するつもりだったのに、大手レコード会社からたて続けに契約の誘いがあり、『やっぱり俺はすごいんだ』と勘違いした」

 帰国第1弾となったアルバム「スターライト」ではこれまでの正統派ジャズから一転、電気楽器を導入しフュージョンを繰り広げた。「当時の『小曽根の音楽は難解』という世評に反発し、『ならば思い切り親しみやすい作品を作ろう』と考えたわけです」と笑う。90年代はそういった試行錯誤を重ね、本当に自分の心に響く音楽を追求する時期だったようだ。

 99~2006年に再渡米。自身のトリオを率い活動する一方、バートンとのデュオ作「ヴァーチュオーシ」(02年)がグラミー賞候補となるなど、着実に実績を積んでいった。06年には自ら率いるNo Name Horsesの初アルバムを出し、本格的にビッグバンド・サウンドに挑んだ。

 「歌手の伊藤君子さんのアルバムのためにバンドを編成したのですが、あまりに素晴らしい音を出すので、終わりにするのがあまりにもったいなく、皆で存続を決めた。思えば不思議ですね。10代の頃は当時在籍した(ビッグバンドの)アロージャズオーケストラに骨をうずめようと思っていたので、予期せず原点回帰する結果になったわけだから」

 ビッグバンドは経費がかかるため、ジャズ市場が停滞する中、維持するのが難しくなっているが、このバンドは定期的にアルバムを出し、ツアーをこなす。19年のアルバムでは、大胆にロック色を出すなど、型にはまらない活動を繰り広げている。(文・西田浩)

無断転載・複製を禁じます
1991204 0 音楽 2021/04/17 05:00:00 2021/04/28 12:00:55 2021/04/28 12:00:55 ジャズピアニストの小曽根真さん(26日、渋谷区のユニバーサルミュージックで)=奥西義和撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210416-OYT1I50089-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)