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「動乱」で目覚めた吉永小百合、マネジャー置かず全ての仕事を自分で判断

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<STORY2>

 映画「動乱」がなければ、現在の吉永小百合はいなかった――。

 「ええ。人生が変わっていたかもしれないですよね。もう俳優をやめていたかもしれないですし」

 21日公開の最新作「いのちの停車場」(成島出監督)で、映画出演作品は122本となる。日本を代表する映画俳優の転機となったのが、1980年公開の「動乱」(森谷司郎監督)だった。

 5・15事件から2・26事件までの激動の時代を背景に、青年将校とその妻の愛を描いた大作で、高倉健との初共演が話題になった。この作品を手がけたのが、後に東映会長となる岡田裕介プロデューサー(昨年11月に急逝)だった。

 「本物の映画作りをしようと思っている方でしたね。1年かけて1本の映画を作ったんですけど、そういう現場に出会えてとても幸せでしたし、『これが映画なんだ』と思いました」

 自らを厳しく律する高倉の姿勢にも心を打たれた。北海道の雪原でのロケ。昼食時、自分やスタッフがロケバスで寒さをしのぐ中、外で立ったままカレーライスを食べていた姿を今も思い出す。

 70年代、日本映画は斜陽だった。日活の青春映画路線で一時代を築いた吉永も、テレビに活動の場を移していた。しかし、多忙のため、疲労とストレスで声が出なくなった時期があった。実現こそしなかったが、舞台に出ることにもなっていた。30代に入り、どうしても出演したい映画の企画にも出会えなかった。

 「気持ちが中途半端だったんですね。『動乱』に出た後、もう一回、映画の世界で、地に足をつけてやってみようと思ったんです」

 映画への情熱がよみがえり、その後、83年公開の「細雪」(市川崑監督)に出演。三女の雪子をなまめかしく演じ、高く評価された。

 「マネジャーを置かないで、全ての仕事を、自分で内容を聞いて判断することに決めたんです。80年代っていうのは、私にとって、いろいろなことにトライできた年代だと思いますね」

 その後も、歌舞伎俳優の坂東玉三郎に請われ、その初監督作「外科室」などに出演、新たな才能との仕事にも積極的に取り組んだ。

 ところで、元々は俳優だった岡田裕介プロデューサーとは、81年放送のNHKのテレビドラマ「夢千代日記」で、元恋人役として共演したこともある。プロデューサーとしては恩人だが、俳優としては――。

 「セリフを覚えない方、それがちょっとね……。一緒にやっていると大変、ドキドキしますよ」

 時が戻ったかのように、楽しそうに笑った。(田中誠)

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2036496 0 エンタメ・文化 2021/05/08 05:00:00 2021/05/15 16:53:22 2021/05/15 16:53:22 女優の吉永小百合さん。東京都港区で。2021年4月24日朝刊[STORY]「次回から登場」に顔写真として掲載。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210507-OYT1I50113-T.jpg?type=thumbnail

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