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[文芸月評]愛のあり方 独白と思索 迷いや戸惑い…それでも生きる

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千葉雅也さん
千葉雅也さん

 川端康成文学賞を4月に受賞した哲学者で作家、千葉雅也さん(42)の新作「オーバーヒート」が話題だ。本作と川端賞受賞作「マジックミラー」を載せた「新潮」は書店で売り切れが相次ぎ、新潮社の在庫も切れた。新潮編集部が「千葉さんの作品が注目された結果だ」というほどの反響である。

 「オーバーヒート」の主人公は学生時代を東京で過ごし、現在は関西で大学教員として働く中年男性。著作もあり知名度も高く、若い男性の恋人がいる――と表面的には順調な彼もその内面は複雑だ。何事も逐一、論理的に考えてしまう自分を嫌悪しながら、ツイートを重ねている。一方で、言語の介在しない肉欲に溺れる。

 同性愛者の大学院生を主人公としたデビュー作「デッドライン」の続編とも読める。約20年前を描く同作と比べ、奏でる旋律は一段低くなった印象だ。中年男の独白にある種のほろ苦さが混じるのは自然だろう。ただ、彼がいら立つ要因は、この間に変化したLGBT(性的少数者)に対する社会の風潮にもある。

 〈リベラルで先進的だと見られたければLGBTを支持「さえすればよい」ような空気〉から、主人公は徹底して距離を置く。結婚などの社会制度から疎外された彼の立場は厳しいが、同性愛者であるがゆえの悲喜こもごもを我が身で味わい尽くし、その立場を基盤として生きようとするかに映る。単なる独白に終始しない切実さが、本作に普遍性を与えている。

 同性愛の世界を、より静かなトーンで写し取った小説があった。ミヤギフトシさん(39)の「幾夜」(すばる)は戦時下の東京が舞台だ。沖縄出身であることで差別される「私」と音楽好きの雪子。〈この国の人びとは、娯楽を、文化を毛嫌いしている〉。彼女たちが発するひそやかな声は、軍靴と空襲の雑音にかき消されていく。

 著者は、軍国の世から愛の孤塁を守ろうとする「私」と雪子の姿を丹念に描くことで、逆に戦争の非人間性を浮き彫りにし、2人の愛のあり方を照らす。個としての存在を顧みられなかった女性たちが、それぞれに大切な言葉を発していた事実に胸がふさがる。

 杉本裕孝さん(42)の「ピンク」(文学界)は、黒人男性のパートナーと暮らす中年男性の苦闘を描く。性的指向や人種への偏見、認知症の母とパートナーの関係、広告会社の仕事で痛感する創造力の枯渇。重畳する困難と対決しては傷つく主人公に対し、機知とユーモアで彼を包み込むパートナーは紛れもなく“恋女房”だ。愛のぬくもりに満ちた中年の成長物語は、社会の差別的なまなざしをしなやかにはね返す。

 群像新人文学賞を受賞した石沢麻依さん(41)の「貝に続く場所にて」(群像)は、ドイツ在住のヒロインが東日本大震災の津波で行方不明となった知人を思い、やがて妄想の中で彼と語らう筋書きだ。津波に遭わなかったヒロインが知人との地理的、心理的距離を測りつつ語る物語は、硬質な描写が続く。最初は読み手を戸惑わせ、いつしか深い思索の淵へと引きずり込む、知的な試みだった。

 劇作家の前田司郎さん(44)の「海辺のマンション」(文学界)は、既婚の元恋人と現在の恋人、2人の女性と関係を持つ男性が主人公だ。彼にとって性行為はみ疲れた日常からの逃避行なのか。肉体の快楽が本物なら〈これを愛と呼んでいいのかも知れない〉。存在の希薄さに悩み、その悩みの薄っぺらさに惑う。肉体の重量を感じさせない描写は端正で、愛を探すテーマは古風でもある。(文化部 武田裕芸)

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2075485 1 エンタメ・文化 2021/05/25 05:00:00 2021/05/25 05:00:00 2021/05/25 05:00:00 『アメリカ紀行』著者の立命館大学准教授・千葉雅也さん。約4か月の米国滞在と執筆について語る。2019年6月20日撮影。同年7月8日夕刊掲載。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210524-OYT8I50104-T.jpg?type=thumbnail

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