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「PPAP」はここから生まれた…「じょっぱり」の道、一周回って世界のど真ん中に

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青森市 お笑い芸人  古坂(こさか)大魔王(だいまおう) さん 47

 一面に広がる田んぼとリンゴ畑。青森と聞いて思い浮かべるそんな景色とは全く違う新興住宅地で、僕は生まれました。第2次ベビーブーム世代で、小学校は全校児童2000人のマンモス校でした。

 父は船の溶接職人、母は漁師一家の出身です。父は生まれてから今まで10分もしゃべっていないくらい無口ですが、母は口が達者。いつも「一番になれ」「勉強しろ」と言われて育ちました。おかげで兄は銀行員、弟は大学教員になりました。僕はこういう感じですけど。

 ずっとお笑いがしたくて、小学校では人気漫画にあやかった「青森奇面組」を結成し、牛乳を飲んでいる女の子に「変顔」をしていました。ビートたけしさんが「賢くないとギャグは出ない」と言っていたので、勉強もして進学校の県立青森東高校に入りました。

 生徒会長として文化祭を仕切ってコントライブを開き、地元のテレビにも出演しました。「こんなもんっしょ」と天下を取った気で18歳で上京しました。でも、青森から東京に来るのは、日本人がハリウッドに行って役者を志すようなもの。まず言葉が違う。お笑いのプロがわんさかいて、自分なんかに誰も笑ってくれない。すぐ鼻をへし折られました。

 津軽弁で話せばウケてくれます。でも、僕のセンスで笑わせているんじゃない。青森が笑われているだけなんです。1990年代に一世を 風靡ふうび した「ボキャブラ天国」でも、津軽弁はあえて封印していました。

 こういうのを津軽弁で「じょっぱり」と言うんです。強情っ張り。ボキャブラが終わり、その後、お笑いから離れて音楽活動に専念しました。周りには反対されましたが、僕はじょっぱりですから。

 2008年にお笑いに戻って単独ライブを開き、その中から生まれたのが「ピコ太郎」です。16年、「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」の動画を動画投稿サイトのユーチューブに公開し、世界中で大ヒットしました。じょっぱりで「人とは違う方へ違う方へ」と進んでみたら、一周回って偶然、インターネットの世界のど真ん中にハマったんです。

 酒も飲めないし、六本木とかでも遊べない。いまだに「東京にハマりたくない」という意識があります。2歳と0歳の子がいるんですが、今後の目標はお金を稼ぐとかレギュラー番組を持つとかではなく、2人が大人になった時に友達に自慢できるような仕事をしたい。もう一つは、ピコ太郎がノーベル平和賞を取ること。変な動画で世界を笑わせてくれた功績をたたえられてね。(聞き手・石浜友理)

【思い出の1枚】三兄弟でプロレス

 小学4年生の頃の僕(左)が、兄弟と自宅でプロレスごっこをした時の写真です。「プロレス部屋」と呼んでいた一室に布団を敷き、青森であった地方興行の全試合を3人で再現したり、好きなプロレスラーに ふん したりして毎日遊んでいました。

 小学6年で体重が100キロもありましたが、3歳年上の兄は、僕より二回りも体がでかかった。でも、アントニオ猪木さん役の僕が、ジャイアント馬場さん役の兄を投げ飛ばしたこともありましたね。

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使い方
2121769 0 エンタメ・文化 2021/06/14 01:39:00 2021/06/15 10:48:32 2021/06/15 10:48:32 ふるさとの青森についての思い出を語る古坂大魔王さん(17日、東京都港区のエイベックスで)=奥西義和撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210611-OYT1I50042-T.jpg?type=thumbnail

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