読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

毛利氏「矢は3本束ねれば折りがたい」訓話、実は史実と違う…話を聞けたのは1人だけのはず

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 「1本の矢はたやすく折れるが、3本束ねれば折りがたい」。一代で中国地方の大半を統べる戦国大名に成り上がった毛利元就(1497~1571年)が臨終の際、枕元に長男・隆元、次男・吉川元春、三男・小早川隆景の3子を呼び寄せて結束を言い聞かせた――。世に知られる「三矢の おしえ 」だが、実は史実と違いがあるという。(山本啓二)

 三矢の訓に詳しいヌマジ交通ミュージアム(広島市交通科学館)主任学芸員の玉置和弘さん(53)によると、元就が亡くなった当時、隆元はすでに死去し、元春は出陣中。立ち会えたのは隆景だけだったはずなのだ。

     ◇

 では、三矢の訓はどこから生まれたのか。

 江戸幕府の重臣・酒井家に伝わる「前橋旧蔵聞書」は、元就が死出の旅を前に多くの子らを集め、「たくさんの矢を束ねると折れない」と説いたとしている。隆元、元春の名はなく、隆景だけが登場する。矢は3本ではないが、三矢の訓の原型とも見て取れる。

 明治期になると、修身の教科書にこの言い伝えが載るようになった。子どもたちや矢の数が集約されていき、昭和初期に「3人の子と3本の矢が登場する話」として三矢の訓が定着していったとみられる。

 実際に、元就が3人の息子に強い絆を求めた史料も存在する。元就自身が1557年にしたためた「三子教訓状」と呼ばれる書状だ。長さ約3メートルに及ぶ巻紙に、3人に宛てた14か条にわたる教訓が示されている。

 教訓状には「3人の仲が疎遠になったら、もう3人は滅亡するしかない」などと記され、兄弟が一致団結して毛利家をもり立てていくよう諭している。玉置さんは「一族の結束が重要だというのは、毛利家の家訓だった」と指摘する。

     ◇

 史実とは違いがあっても、力を合わせることの大切さを訴えた元就の思いは「三矢の訓」に織り込まれ、現代に受け継がれている。

郡山城跡にある三矢の訓跡碑(安芸高田市で)
郡山城跡にある三矢の訓跡碑(安芸高田市で)

 元就の本拠地だった安芸高田市の郡山城跡には、1956年に三矢の訓跡碑が完成し、顕彰されている。城跡の麓の市立吉田小も73年に創立100周年を記念し、校内に三本の矢をかたどった碑を設置した。

 サッカー・J1のサンフレッチェ広島のチーム名は、日本語の「3」とイタリア語の「フレッチェ(矢)」に由来する。元就にあやかり、一致団結して勝利を目指している。

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2371893 0 エンタメ・文化 2021/09/16 18:00:00 2021/09/16 23:32:22 2021/09/16 23:32:22 郡山城跡にある「三矢の訓跡」の碑(午後3時42分、安芸高田市で)=山本啓二撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/09/20210916-OYT1I50075-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)