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那覇市の首里城火災から31日で2年を迎える。再建に向けた検討が進む中で、琉球王国末期の1877年(明治10年)に撮影された、現存最古の正殿の写真が確認された。2019年に焼失した平成復元の正殿と違って、正面階段脇の「大

写真は那覇に寄港したフランス海軍巡洋艦の乗員が撮影したもので、艦長の子孫が原板を所有していることを昨年、
正殿は国王が政務を執った建物で沖縄戦で失われた。大龍柱は龍をかたどった高さ3・1メートルの一対の石柱で、国王を象徴する意味がある。

これまで知られていた明治、大正期の写真も正面向きだったが、1992年の再建では龍の顔が向かい合う形で復元された。それに先立つ王国時代の複数の絵図にそのように描かれているためだ。写真が正面向きになっているのは、1879年の琉球処分(沖縄県設置)で琉球が日本に併合された後、首里城に駐屯した日本軍によって変更されたものと理解していた。
今回確認された写真は琉球処分の2年前のもの。日本の保護下とはいえ王国体制が維持されていた時期に、正面向きだったことが確実となった。後田多教授は、「沖縄県設置後に正面向きに改められたという論拠は失われた」と強調。「絵図で向かい合って描かれているのは、龍の形をわかりやすく示すため」とみる。
2026年までの正殿再建を目指す国は、向かい合う形での復元を既定路線としていたが、写真発見を受けて、技術検討委員会で改めて検討している。
委員長を務める高良倉吉・琉球大名誉教授(琉球史)は、「王国時代の絵図は建物の彩色や寸法などを記した精度の高い資料で、信頼に値する。一方で、新発見の写真も資料的価値が高く、丁寧に検証する必要がある」と話している。委員以外の専門家への意見聴取なども行い、今年度末までに方針を決める。
◆首里城 =琉球王国(1429~1879年)の王宮で、政治・行政の拠点。1945年の沖縄戦で全焼し、92年に正殿などが復元された。2000年には、城跡などが世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録された。19年の火災では、正殿、北殿など6棟が全焼し、2棟が一部焼損した。