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二刀流の元祖・宮本武蔵、意外な分野で才覚発揮の「多刀流」だった

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宮本武蔵像(林羅山賛)=県立歴史博物館提供
宮本武蔵像(林羅山賛)=県立歴史博物館提供

 日本人大リーガー・大谷翔平選手の投打にわたる活躍で、海を越えて話題となった〈二刀流〉。その開祖の剣豪・宮本武蔵(1584~1645年)は、様々な流派の剣の達人との六十数回の決闘に一度も負けたことはなかったという。剣術を悟り、二刀流を編み出した武蔵には、もう一つの顔があった。各地に武蔵が描いた墨画が残され、一部は重要文化財に指定されるほどの腕前だった〈芸術家・武蔵〉とは……。(田辺貴司)

決闘の地

 岡山県美作市に近い山あいの宿場町・兵庫県佐用町平福。

 智頭急行平福駅から佐用川沿いの因幡街道筋を5分ほど歩くと、宿場町外れの川べりに「武蔵血(決)闘の場」と刻まれた石碑が立つ。ここが、武蔵が13歳の時、最初に決闘をしたとされる地だ。碑文などによると、新当流の達人・有馬喜兵衛が掲示した、勝負を望む高札を見た武蔵が挑み、一刀のもとに倒したとされる。

 武蔵は、晩年に書いた兵法書「五輪書」で「生国播磨の武士」と記し、初決闘の後、30歳頃まで諸国を回って勝負を続けたという。太刀と脇差しを持ち、戦い方の長所などを説いた兵法への道を「 二天一流にてんいちりゅう (二刀一流)」と命名した。

墨画の技

 大阪府の和泉市久保惣記念美術館所蔵の墨画「 枯木鳴鵙図こぼくめいげきず 」。武蔵の名作の一つで、重要文化財に指定されている。

 枯木の細い幹をはい上がる1匹の虫と、木の先端に身動きもせず、鋭く目を凝らす もず を描いた。攻撃までの張り詰めた間合いが表現され、武蔵の剣の道につながるものを感じる。同館が開いた特別展「宮本武蔵 筆の技」では、墨画を他の絵と並べると力強さに圧倒されてしまうため、間隔を大きくあけて展示したという。

 河田昌之館長(67)は「枯木を真ん中に描き、絵のルールを無視しているが、墨の濃淡を使いこなした独自の筆致で表現している。鵙と虫との生と死の関係を意識し、心眼で瞬時に見極めたのだろう。武蔵の兵法がうかがえる」と芸術的センスをたたえる。

明石公園に再現された枯山水庭園(明石市で)
明石公園に再現された枯山水庭園(明石市で)

 明石城跡にある明石公園。滝や池に架かる石橋など、武蔵が造営したとされる枯れ山水の「武蔵の庭園」が再現され、市民の憩いの場に。庭園があったとされる場所は陸上競技場になっている。

 城主・小笠原忠真に招かれた武蔵は1618~1632年、明石に滞在したとされる。城の庭園造りだけでなく、明石城築城とともに軍事戦略の一環で町割り(都市計画)も行った。明石のまち並みの基礎は武蔵が築いたものだ。

幼き日々

 武蔵は幼少期、親戚にあたる平福の僧侶・ 道林坊どうりんぼう に預けられ、厳しくしつけを受けた。そこで武芸を学び、絵筆も取り、 達磨だるま 図を描くなどしたと伝えられる。

 幼少期の武蔵を題材に観光客らに説明する紙芝居を作った教岸寺の黒川惠凖住職(85)は言い伝えや足跡をもとに子どもの頃の武蔵の様子を物語にした。「道林坊が資質を見抜き、武道から芸術までを教え込んだのだろう。人格を形成し、美的感覚の素晴らしさを育んだのが平福の地だった」と話す。

 佐用町史によると、町内には和歌や俳句の文化が根付いていた。武蔵は数々の歌も残している。

才覚発揮

 剣の二刀流にとどまらず、芸術家や都市計画の立案などで才覚を発揮し、まさに〈多刀流〉だった武蔵。その姿を思い浮かべ、当時と変わらないであろう山並みを望みつつ、平福の宿場町を歩く。旅情とともに、散策の楽しさがふくらむ。

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2581803 0 エンタメ・文化 2021/12/08 22:04:00 2021/12/08 22:04:00 2021/12/08 22:04:00 明石城公園に再現された武蔵の特徴の枯山水庭園(明石市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211207-OYT1I50053-T.jpg?type=thumbnail

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