秋田藩家老の日記刊行が完結…富士山噴火や「松の廊下」事件、痴情もつれの刃傷沙汰まで克明に

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 江戸時代中期の秋田藩家老だった岡本元朝の日記について、秋田県公文書館による翻刻作業が3月に終了し、最終巻の8巻が刊行された。日記には秋田藩内の出来事だけでなく、富士山の噴火といった天変地異なども記されており、担当者は「当時の状況を知るだけでなく、災害研究など様々な分野で活用してもらいたい」と話している。

日記の原本(手前)を前に、笑顔を見せる県公文書館の柴田さん(左)(秋田市で)
日記の原本(手前)を前に、笑顔を見せる県公文書館の柴田さん(左)(秋田市で)
県公文書館に保管されている日記の原本
県公文書館に保管されている日記の原本

 日記は元禄8年(1695年)1月から始まり、正徳元年(1711年)末に元朝が病で書けなくなった後に家臣が書き継ぎ、正徳2年(1712年)12月までの出来事が収められている。現存する原本143冊(合冊で現在は64冊)は県公文書館が所蔵しており、2020年に県指定有形文化財に登録された。歴史的価値のある資料を後世に残そうと、同館が崩し字を活字化する翻刻作業を行い、15年から刊行してきた。

 内容は秋田藩の政治だけでなく、城下で起きた事件にも触れている。男女の痴情のもつれによる 刃傷にんじょう 沙汰や渡し船が転覆したこと、藩の米蔵から大量の米が盗まれたことなどが記され、元朝の筆まめで好奇心旺盛な性格がうかがえる。

 江戸での出来事にも敏感だった。「忠臣蔵」の元となった「赤穂事件」の発端の、江戸城の松の廊下で、赤穂藩主・浅野 内匠頭たくみのかみ が、指南役の吉良 上野介こうずけのすけ を切りつけた事件については、発生11日後に、江戸藩邸からの書状で知った詳細を記述。吉良の人柄については、「日頃かくれなきおうへい人ノ由」と記している。

 災害の記述が多い。元禄16年(1703年)11月に関東地方をおそった元禄大地震では、「今夜丑刻地震弱シ永フレ候」と書き、秋田でも微弱だが長い時間揺れたことを記した。宝永4年(1707年)11月の宝永大地震では江戸の藩邸におり、「未ノ刻地震よほと強ク候」と感じ、壁がひび割れたことを記した。

 同年には富士山が噴火した。「冨士山鳴出煙り立候」とつづり、噴火による振動で藩邸が揺れ、噴煙により暗闇となり、雷が鳴り響く様子を描写している。

 翻刻作業に携わり、最終巻で解説を担当した県公文書館の柴田知彰専門員は「江戸時代中期の政治や社会、秋田の人々の暮らしに関する克明な史料だ。生涯学習や学校教育などでも活用してもらいたい」と話している。

 各巻4400円(税込み)。特筆すべき内容は、同館が定期的にホームページ上で公開している「古文書倶楽部」「秋田県公文書館だより」で紹介している。購入の問い合わせは、秋田活版印刷(018・888・3500)へ。

  ◆岡本元朝= 1661~1712年。秋田藩の重臣。3代藩主佐竹 義処よしずみ の藩政を支え、元禄14年(1701年)に家老となる。義処が急逝した後は、まだ幼かった4代藩主 義格よしただ を補佐し、藩政を主導した。肖像は残されていない。

岡本元朝の日記の主な出来事

・元禄15年(1702年)6月 野生のオオカミが武家屋敷の犬をかみ殺す事件が多発した

・宝永元年(1704年)4月 江戸屋敷勤務のため、江戸に上る。徒歩で2週間かけて500キロ以上を歩いたとみられる

・同年7月 秋田上空に「光り物」が飛んだといううわさが江戸城内で広がった

・宝永6年(1709年)11月 長崎から江戸に護送されてきたイタリア人宣教師の様子を記す

・宝永7年(1710年)11~12月 自身の子どもを 疱瘡ほうそう (天然痘)で相次いで亡くし、悲痛な思いを吐露

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