元語学将校のドナルド・キーン氏が読んだ日本兵の日記「仲間が死んで一人」「腹減った」

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 三島由紀夫、川端康成、谷崎潤一郎――。昭和の文学界を彩る歴々たる作家たちと親交を深め、日本文学と日本文化の魅力を世界に伝えることに一生を捧げたドナルド・キーン氏(2019年2月死去。享年96歳)の生誕100年を記念する展覧会が、横浜市中区の神奈川近代文学館で開かれている。キーン氏が日本文学研究の道を歩むことになった原点のひとつは、太平洋戦争時代に語学将校として日本兵の日記を翻訳したことだ。戦後77年の夏がやってきた。戦争と平和について、キーン氏の言葉を振り返りつつ考えたい。(編集委員・森太)

戦時中は日本語の語学将校だった

 横浜・山手の高台にある「港の見える丘公園」は、アジサイが咲き誇っていた。横浜ベイブリッジを望みながらその庭園を抜けると、懐かしい顔が現れた。それは、文学館の入り口に掲示されたキーン氏の大きな写真だった。

神奈川近代文学館の入り口に掲示されているドナルド・キーン100年展の案内
神奈川近代文学館の入り口に掲示されているドナルド・キーン100年展の案内

 戦後60年(2005年)の8月、私はキーン氏にインタビューした。読売新聞社会部で戦後60年の連載を担当していた私は、そのひと月前に米国に渡り、太平洋戦争中、ガダルカナル島やサイパン島で命を落とした日本兵の日記や遺書を、ワシントン郊外の米国立公文書館別館で見つけた。約3週間かかってそれら約150点すべてを電子データで保存し、日本で判明した何人かの遺族のもとに届け、連載記事を書いた。その取材過程で、キーン氏が戦時中、日本語の語学将校としてハワイに駐在し、太平洋の島々から米軍によって集められた日本兵の日記を翻訳していたことを知ったのだった。

 当時83歳のキーン氏は、米国と日本を行き来する生活をしていて、日本では東京都北区のマンションで一人暮らしをしていた。キーン氏は、私を温かく迎え入れてくれ、旧古河庭園の見える居間で話を聞いた。

遺品から収集した日記で決意

 「日本人は、小さな出来事を日記につづっていました。文章はつたなくても、胸を打つ言葉でした」。キーン氏は、当時を思い出しながらゆっくりと語り始めた。大きな木箱に入っていた日記は、米軍が戦死した日本兵の衣服や遺品から収集したもので、塩水や泥水、血の入り交じった嫌なにおいを発していた。それでもキーン氏は、日記を積極的に読み進めた。

語学将校として従軍した太平洋戦争時代の展示
語学将校として従軍した太平洋戦争時代の展示

 「早く故郷に帰りたい」「豆が11個あるが、3人いるので、どうやって分けたらいいか」「仲間がみんな死んでとうとう1人になった」「腹が減った」――。ページを繰ると、兵士たちの胸の内が伝わってきた。インタビューでキーン氏は「そこには、自分たちと同じ人間がいました」と語った。

 和英辞典と漢和辞典を駆使し、夢中になって訳すうちに、難しい字も読めるようになった。短歌、漢詩、さらに、文学的価値の高い日記もあった。キーン氏は、「3年間で、いい日記が100ぐらいありました。平安期から日記をつけていた日本人の奥深さを知りました」と話した。そして、この経験が戦後、日本文学研究者として生きていくことを決意するきっかけになったのだと教えてくれた。

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3135523 0 エンタメ・文化 2022/07/03 09:23:00 2022/07/03 10:52:27 2022/07/03 10:52:27 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/07/20220701-OYT1I50094-T.jpg?type=thumbnail

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