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この喫茶店に来れば、輝いていた過去に戻れるかもしれない。多くの人が一度は思うテーマを描く日本発の短編集が現在、海外で売れている。脚本家、演出家の川口俊和さんの小説『コーヒーが冷めないうちに』だ。2015年に出版後、現在34言語に翻訳された。人気に火が付いたイタリアでは、部数はシリーズ3作で計50万部に上る。
版元のサンマーク出版の小林志乃・国際ライツ部長は「『今の私の心を代弁してくれた』と、イタリアの読者から感想が寄せられた。コロナ禍の中で、ストーリーが国を超えて心に響いたのではないか」と話す。

春山茂雄『脳内革命』など個性的な刊行物で知られる同社は、「良い本は、世界中の人から見ても良い本」(植木宣隆社長)と、20年以上前から海外のブックフェアに出展を続ける。各国の出版社や、日本と海外の出版社を結ぶ仲介業者「著作権エージェント」と交流してきた。その努力が、「コーヒー」シリーズや、世界1300万部超の近藤麻理恵さんの人気作『人生がときめく片づけの魔法』などに実を結んでいる。
コロナ禍、日本書籍に商機
出版科学研究所によると、翻訳権の海外販売といった日本の「出版ライツ事業」の21年の推定収入額は157億円だ。このうち7割以上が漫画で、書籍は2割程度にとどまる。
従来、日本の書籍の翻訳はアジアが強かった。ただ国内の老舗エージェント「日本ユニ・エージェンシー」では、コロナ禍前の19年より、世界全体で日本の翻訳の売り上げが年20%ずつ伸びた。欧米のロックダウンは日本より厳しく、ステイホームを続ける人向けに手芸や料理、学習参考書、ミステリー小説、哲学書、古典が伸びており、新たな商機が生まれている。
国も手をこまねいてはいない。今までも人文や社会科学などの分野を中心に、国際交流基金が海外向けの日本の翻訳物に助成制度を設けてきた。それに加え、文化庁は今年度から、国内の出版社を対象に、海外に売り込むための企画書やサンプル翻訳について、翻訳料を補助する取り組みを始めた。

同庁はかつて、現代日本文学の翻訳や普及を進めるため、翻訳してほしい文学作品の選定から助成まで大規模に手掛けようとした。だが、思うように作品数が広がらず、13年度に事業仕分けで廃止された。
今回は、民間の取り組みを、国が支援する形に切り替えた。内容を知らない文学作品の翻訳権を売買する現場では、いかに魅力的な作品かを訴えることが重要なため、期待は大きい。今年度は企画書の翻訳に10万円、サンプル翻訳に50万円を上限に補助する。公募件数は企画書は100件、サンプル翻訳は20件程度を予定。以前から続く翻訳コンクールと合わせ、今年度は6500万円の予算が組まれた。
また、経済産業省の支援で昨年3月、国内の本の著作権情報を、英語や日本語で見られるカタログサイト「ジャパン・ブック・バンク」も開設された。現在はNPO法人の映像産業振興機構が運営し、これまでに、サイトを通じて小説や漫画など42件の翻訳が決まった。
イベント出展や人脈作り…長期的な支援が必要

海外でも、各国が翻訳出版の支援に力を注ぐ。韓国では、政府が01年に「韓国文学翻訳院」を発足させ、翻訳の出版に助成を続け、日本でも多くの刊行物が出るようになった。
川上未映子さんの『ヘヴン』の英訳版が最終候補に入り、注目を集めたブッカー国際賞。最終候補6作には、韓国のチョン・ボラさんの『CURSED BUNNY(呪いのウサギ、未邦訳)』も入っていた。同書は、世界18か国で翻訳が売れた。書籍翻訳で、アジア各国は激しく追い上げている。
「『コーヒーが冷めないうちに』も、PRを始めてから売れるまでに5年かかった。日本の作品の魅力を知ってもらうためには、イベント出展や人脈作りなどの活動が欠かせず、長期的な支援が必要です」
サンマーク出版の小林さんは語る。日本文学を読んでもらうことは、日本文化をより深く理解し、親しんでもらうことにつながる。一朝一夕で成果が出るものではなく、息の長い支援策が必要となる。(文化部 小杉千尋)