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直木賞作家の今村翔吾さんが読者と語り合う「よみうり読書サロン 今村翔吾夏の陣」が7月18日、大阪市北区のギャラリーよみうりで開かれた。今村さんは本紙朝刊(6月12日付)に掲載された書き下ろし掌編小説「
※当日の模様は8月31日まで専用サイトで視聴できます。申し込みは こちら
雀子を探しに出た夫はある日、財宝が詰まった葛籠をもらって帰ってくる。与根も葛籠欲しさに雀子を訪ねると、二つの葛籠が示された。善人が空ければ金銀が出て、悪人が空ければ首を切られる「



――「葛籠」は、舌切り
「原稿用紙9枚で書くという依頼だったから、既存の話があったほうが余計な説明を省ける。作品では『人間の業』を描きたかったので、それ以外の舞台設定は、みなさんの頭の中の予備知識をお借りして、短いセンテンスで心に巣くう欲や嫉妬を表現しました。下敷きのあるものを逆転の発想で変えていくのは、得意と言えば得意ですね」
――歴史小説と通じる部分もありますか。
「あるある。歴史小説は一応、史実の部分は変えられない。信長は本能寺で死ぬ。だけど、その経緯で分かっていないところは、自由に描ける。おとぎ話も、桃太郎が鬼ヶ島に来て鬼を退治することは決まってる。それを守りながら、いかに変えていくか。リメイクは面白い。絶対にやると決めてるのは今村版・西遊記。3、4年後に始めて、10巻くらいのシリーズにしたい」
――読者から事前に募った質問には、後半の雀子と与根の心理戦に関して、「雀子の魂胆は
「両方が
――昔話では善人のおじいさんを悪人にした意図を尋ねる質問もありました。
「雀子の親がなぶり殺されるのをおじいさんが(幼少時に)見ていたことは、いいことではないけど、果たして罪なのか。雀子の恨みは強いけど、止められない人間を悪人と言ってしまっていいのか。雀子にとっての個人的な悪と、社会的な悪には差異がある。今の時代は、みんなで寄ってたかって個人的な悪を社会的な悪に変える風潮が顕著になっていて、そういう風刺も入れてますね」
会場の参加者 自分を善人だと思って葛籠を選ぶ人はいるでしょうか。