国際日本文化研究センター×読売Bizフォーラム東京 講演要旨「建築の政治学 権力の館としての建築を考える」

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人と情報が集まる場としての「権力の館」

講師の御厨貴氏(左)と井上章一氏(右)
講師の御厨貴氏(左)と井上章一氏(右)

 政治学者の御厨貴・東京大学名誉教授と、建築史や文化史を専門とする井上章一・国際日本文化研究センター(日文研)所長が3月11日、日文研と読売Bizフォーラム東京による特別講座で、「建築の政治学 権力の館としての建築を考える」をテーマに議論しました。冒頭の問題提起で、御厨氏は人と情報が集まる場としての「権力の館」の特徴を指摘。井上氏は、建築から見える権力の変遷について語りました。二人のディスカッションでは、ウクライナ侵攻から見えてくる「権力の館」の新しいステージまで議論が及びました。

日文研×読売Bizフォーラム東京 建築の政治学~権力の館としての建築を考える(オンライン無料特別講座)

宏池会で初めて公邸に入った岸田総理

新旧首相官邸
新旧首相官邸

<御厨貴・東京大名誉教授の問題提起>

 新旧首相官邸の写真を見てください。首相官邸と、首相公邸になった、かつての官邸を上空から写したものです。「権力の館」と言ってもいろいろありますが、みんなが思い浮かべるのは総理大臣の館でしょう。総理の話から始めたいと思います。岸田首相は公邸に入りましたが、その前の総理である菅義偉さん、安倍晋三さんは公邸入りを好みませんでした。安倍さんは第1次政権では公邸にお入りになりましたが、第2次政権では翌日に公的な予定がある時など以外は私邸を好むようになり、自宅を自身の権力の館にされました。菅さんは、おそらく首相公邸に入るなんて考えなかったと思います。菅さんは官房長官から総理に昇格して、もちろん官邸は使いますが、公邸は使わず、相変わらず議員宿舎から官邸に来ていました。ところが、岸田さんは公邸に入った。自民党本部の総裁室にも、岸田さんは内閣発足からしばらくは結構、通いました。総裁室には滅多に総裁はいないというのが従来の慣行なのですが、そこにも顔を出した。いろんな所に顔を出し、権力の象徴として情報を取ろうとしているということが分かるわけです。

自民党本部
自民党本部

 岸田さんは、宏池会という派閥では初めて公邸入りしました。池田勇人さんが公邸を造り直したのですが、その池田総理は入らなかった。その後の大平正芳さんも、鈴木善幸さん、宮沢喜一さんも入らなかった。みなさん自宅におられたので、宏池会系は公邸に入らないのかと思っていたら、岸田さんは入った。菅さんの場合は官房長官の時から、朝起きると議員宿舎の周辺などを散歩するのが習慣でした。人に会うのも官邸近くのホテルが多い。公邸に住めば当然、公邸で、もてなしもしなければならない。だから、権力の館風に言うと、菅さんは館を持たず、それぞれの場所で権力行使をしたということになるわけです。

 私邸を使う場合も、いろいろあります。私邸に一切、人は呼ばない、新聞記者が来ても、帰れと言って入れないという政治家もいます。宮沢さんはそういう時期が長く、自分の家に新聞記者のたまり場がない、たまり場がないと総理になれないかもしれないということで、ご家族に頭を下げ、玄関を入ってすぐの所にたまり場を造ったという逸話があります。権力の館とは要は、いろんな人が立ち寄ることが大事なのです。池田さんや大平さんのお宅もそうでしたが、行くと、どこまで上げてもらえるかが決まっている。大平さんの場合、一番奥はベッドルームだったと言います。ベッドルームに新聞記者が忍び寄るというのは気持ちが良くない気もしますが、実際そうだった。宮沢さんは、それをやらなかったわけですね。

 最近の総理は、おそらくそんな事をあまり考えていないと思います。公邸に入るケースが少なく、入った場合も公邸には誰が入るか分かりますから。権力の館とは何かというと、そこで総理が情報を取る。一番大事なのは情報なのです。よく言われるように、官房長官には情報が集まるけれど、総理には意外に集まらない。官房長官の所で管理され、上まで情報が届かない。岸田さんはそれを分かっていたから、官邸の主として官邸にいるだけではだめだと公邸に入り、自民党本部の総裁室にも入った。総裁室は観光客が記念撮影をする場所として有名ですが、岸田さんはそこも使うようになった。

 岸田さんになってから、なぜ党本部がにぎわうようになったかというと、人の動きが変わったからです。副総裁に麻生太郎さんが就任した。麻生さんは総理総裁もやり、長く副総理、財務大臣だったと同時に麻生派の総帥です。彼が副総裁になって、しょっちゅう党本部に行く。そこには茂木幹事長も、安倍さんがお気に入りの高市政調会長もいる。そこに人が集まってくる。一度権力を失ったと言われる二階俊博さんも自民党の役職に就いて、党本部にいる。そこに行けば、みんなに挨拶しないとまずいし、挨拶しているうちに情報が集まるということで、おそらく岸田さんも行くようになった。だから、自民党本部が10年ぶりくらいに、にぎわいを取り戻し、各派の領袖がみんないるということです。権力の館は必ずしも総理大臣がいる館だけではなく、人や政治家が集まり、ワイワイガヤガヤして、何かが始まろうとしている。そこが生きている権力の館と言うこともできます。

 官邸や公邸、特に自民党本部には時々、訳の分からない部屋があります。何の札もかけてない。官邸には昔、副総理の部屋がなくて、何もかかっていない部屋に勝手に副総理が入って、事実上そこを占拠したみたいなこともありました。きちんと管理され、決まった人が部屋にいるかと思うと、意外にそうではない。あの部屋には何時から何時まで誰さんがいる、みたいな部屋が実はある。そこにいるのは隠れた権力を持つ人で、表に出ることはないが、官邸や党本部にいた方が便利な人がそこに入るということが、よく言われます。

建築から見えてくる権力の変遷

<井上章一・国際日本文化研究センター所長の問題提起>

 国際日本文化研究センターは京都の郊外にあります。残念ながら、首都圏ではあまり知られていないと思います。東京方面でも存在感を高めたいと、こういう催しに打って出ている次第です。新型コロナウイルス感染症の影響で延び延びになっていたのですが、ようやく開催にこぎ着けることができました。これからも、よろしくお願いいたします。

銀座・中央通り
銀座・中央通り
オペラ座(ガルニエ宮)
オペラ座(ガルニエ宮)

 今日は建築の大きな話をさせてください。象徴的な次元で権力を考えたいと思います。いわゆる日本人論を読まれたり、見聞きされたりすると思いますが、こんなタイプの議論があります。日本人は主体性があまり強くない、西洋人ほどエゴが発達していない、会議で議論が続くと場の空気に流される、自分の気持ちを引っ込めてしまうことがよくある。良く言えば、みんなの和を重んじる、悪く言えば、主体性が欠けている。空気を読む民族だと言われることがあります。さて、建築です。東京・銀座の昭和通りや中央通りを歩いてみてください。通り沿いに建つ建物をご覧になってください。場の空気に合わせようとしたビルディングがあまりありませんよね。隣のビルとデザインや調子を整えようとしたビルはありません。多くのビルがてんでんばらばらに自分の色、形を打ち出しています。主体性をはっきり打ち出していると思います。同じ繁華街、例えばパリのオペラ座近辺を見比べてみてください。建物は同じ形で整えられています。色も似通っています。全体の調和を重んじる風に街並みはできています。公共的な調和という全体性の前に、それぞれの個性を埋没させています。空気を読んでいるのはフランスのパリです。エゴが発達しているのは日本の東京の銀座です。おわかりでしょうか。建築に注目すると、これまでの社会観察では見落とされているような新しい社会像が拾い出せるのです。ひょっとしたら政治学や権力論においても、それが可能になるんじゃないかという志のもとに話を進めたいと思います。

 江戸時代の街をイメージしてください。街中で一番際立つのは領主のお城です。中でも天守閣は背が高く、そびえ立っています。これが権力の象徴であったのだと思います。江戸時代の大阪や江戸には、三井や住友を始めとする豪商、大ブルジョワがいました。幕府はしばしば彼らから借金をしますが、彼らに大きな館を営むことは許しません。城造りや、ましてや天守閣の造営は、とうてい認められない事でした。せいぜい2階建てのお家を許されるくらいが限度だったわけです。幕府あるいは領主が建築では圧倒的に威張っていたわけです。ですが、明治維新でこのルールはなくなります。1872年(明治5年)に東京の兜町に全く新しいタイプの建築が現れます。三井の銀行です。和洋折衷で建てられました。1~2階は西洋風、3~5階には天守閣をかたどったような塔屋をくっつけました。兜町だけではありません。この時期、多くの新興ブルジョワたちが同じように天守を上に載せたような施設を造ったのです。彼らはたぶん思っていたでしょう。古い時代のしきたりから自分たちは切り離されている、これからは、おれたちブルジョワの時代になる。そんな心意気が天守閣になぞらえた西洋建築の出現につながったのだと思います。要するに、これからはおれたちが天下人になるという志を建築で表したのだと思います。

 フランス革命の前後に、こういう建築史上の変化はありません。新しい時代に、古い時代が禁じていた表現を試みる、そういう建築史がフランス史にはありませんでした。明治維新はフランス革命ほど革命的じゃないと言われます。でも、建築へ目を向けると、明治維新の方が圧倒的に急進的だと見えるわけです。今の街で一番大きく際立つ建物は何でしょうか。オフィスやホテル、マンションなどの超高層ビルです。いずれも市民、ブルジョワの施設です。江戸時代を生きた侍なら、今の街を見て驚くのではないでしょうか。あまり良い言い方ではないですが、彼らに成り代わったつもりで言いましょう。「街の金貸し風情がこんな大仰な建物を建てているのか。町民どもが上空からお武家様を見下ろしているのか。こんな事が許されていいのか。身分秩序はどうなったんだ」と、江戸時代を生きた侍なら考えるのではないでしょうか。しかし、今やそれが許され、誰も不思議に思わない時代になっています。権力はブルジョワ、市民の手に移った。林立する超高層ビル街はその事を明らかに示していると思います。かつての領主は、領内で一番大きい城を設けました。領内で一番際立つ背の高い天守閣を営みました。今、その振る舞いに出ているのは市民、ブルジョワです。これを権力の変遷と言ってしまえば政治学的にあいまいな所がのこるでしょう。でも、私は一番際立つ建物を建てる主体が変わって行っているという現象に注目したいのです。

東京海上日動火災本社ビル
東京海上日動火災本社ビル

 もう一つの大きな変化があります。今の超高層ビルは単体で、一つで際立っているわけではありません。ビル街によっては群がっていることがあります。これは権勢が分散されながらネットワーク状につながっていて、その力が政治を動かすという今日のシステムを映し出しているように私は感じています。丸の内の皇居のお堀端に東京海上日動ビルの本館が建っています。1974年(昭和49年)に建てられました。当初の計画案では高さ130メートル、30階建てでしたが、規模が縮小されます。高さは100メートルに及ばなくなり、25階建てで止まりました。誰が言ったかは分かりませんが、上空から天皇陛下のお住まいを見下ろすということがあっていいのか、不敬にあたるのではないかという声があったそうです。それで計画の変更を余儀なくされた。皇居を取り巻く、いわく言い難い力が取りざたされ、天皇制を取り巻く部分には建築の自由を押さえつける力があるのだとも言われました。ですが、ロンドンのバッキンガム宮殿のそばに超高層ビルなんて、21世紀の今日だってあり得ない。パリのルーブル宮殿の真横にだって、そんな物は絶対建ちません。ルーブル宮殿に今、国王なんていなくても、ありえないわけです。建築の自由を認めない点では、イギリスやフランスの方がはるかに窮屈なのです。丸の内をもう一度見てください。東京海上日動ビルは少し高さ制限を受けましたが、100メートル近いビルとして竣工しています。それだけではありません。皇居の東側につながる丸の内界わいは今や超高層ビル街に化けました。私はヨーロッパ以上に、現代日本の方がブルジョワ革命を強く推し進めていると考えます。これは通説的な歴史理解とは真逆です。建築を見ていると、そういう政治史、権力の変遷史がうかがえるということです。

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2879527 0 読売Biz フォーラム 2022/03/30 15:03:00 2022/03/30 15:28:21 2022/03/30 15:28:21 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/03/20220325-OYT8I50001-T.jpg?type=thumbnail

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