国際日本文化研究センター×読売Bizフォーラム東京 講演要旨「建築の政治学 権力の館としての建築を考える」

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

レガシーとしての国立競技場の評価は?

国立競技場
国立競技場

(御厨)  権力の館かどうかは微妙ですが、僕が権力の館に入れたいと思うのが、東京オリンピック・パラリンピックの時の国立競技場です。この新しい競技場について、オリパラが終わったら、すぐに評価が出るかと思ったのですが、意外に出ない。みんなの関心はもう万博や札幌オリンピックに移り、何となく国立競技場の評価を避けたがっているのは、どうしてかなと思ったのですが、僕の仮説の一つは、東京五輪は無観客で、完全な状態で使われなかったからではないか。本来、競技場に一番いなければならないのは観客で、観客のにぎわいも含めて、今回の競技場は良かった悪かったという話になるので、評価が難しいというのが僕の素人考えですが、どうでしょうか。

日文研×読売Bizフォーラム東京 サロン音楽に聴くジャポニスム ミカドからチョーチョーさんまで(オンライン無料講座)
国家体育場「鳥の巣」
国家体育場「鳥の巣」

(井上)  あれだけレガシー(遺産)を残そうという話があったのだから、仮に使われなかったとしても、レガシーとしてどうだったか、もう少し話題になって然るべきだと思います。別の話ですが、中国の北京オリンピックで使われている「鳥の巣」は、そう長持ちする建物だと思えません。構造的に相当無理をしており、いずれ撤去しなければならないと思いますが、あんなにグニャッと曲がった巨大な鉄を、どう撤去するのか。パルテノン神殿やローマのコロッセオのように長く残るものなら、それでも良いのですが、あれは長く残りそうな建物に思えない。第2回オリンピックの会場はパリですが、これは1900年パリ万博の余興でした。当時、フランス政府は陸上競技のスタジアムを造らず、競馬場で競技をさせたのです。プールも造らず、セーヌ川にロープを張って泳がせた。つまり、オリンピックは当初、国家が情熱を傾けるようなものではなかったのです。そもそも金、銀、銅メダルという仕組みも万国博覧会の技術コンクールを受け継いだものです。ナチスが国家の威信をかけた1936年のベルリンオリンピックで、アテネから聖火リレーを行う今日のオリンピックの仕組みが出来上がったのです。

 何が言いたいかと言うと、ドイツはナチ時代の記憶を徹底的に無くしていったと思いますが、ベルリンのオリンピックスタジアムはヴェルナー・マルヒという建築家の設計で、図案を見たヒトラーが気に入らず、ヒトラーの指示でマルヒとアルベルト・シュペーアが徹夜で造り上げた図面に基づく仕事なのです。言ってみれば、ヒトラーの作品と言えそうなものがベルリンに堂々と残っている。そのベルリンオリンピックスタジアム前に残るナチス時代の彫刻を残しておくのはいけないという世論が高まるんですけど、スタジアムについての議論は高まらなかった。スタジアムを潰してほしいというわけではありませんが、そもそも建築の良し悪しとか、建築についての記憶が市民社会の話題にならず、丸の内の東側がすっかりブルジョワの天下になっているという話も、あまり論壇の話題にはならないですよね。そこに私は建築の切なさがあるように思いますが、どう思われますか。

(御厨)  丹下健三さんは建築家の中で一番、政治的な側面があったと言われましたが、彼が新宿の前の有楽町の東京都庁舎を設計した時、一番問題だったのは、庁舎があっという間に満杯になったことです。「何で丹下はこんなものを造ったのか」と言われましたが、彼は「おれは建物にふさわしい人数を考えていた。それを無視して詰め込んだのは都庁が悪い。おれの建築を理解していなかった」と反論しました。これを今言ったら大変な事になると思いますが、建築家が頑張った時代というのもあったんじゃないですか。

IT・デジタルで弱まる「権力の館」の存在感

コロッセオ
コロッセオ

(井上)  イタリアのフィレンツェ市役所は、ルネサンス前のフィレンツェ共和国の庁舎を使い続けています。築500年を超えると思いますが、市役所職員はそこでパソコンをたたいています。ヨーロッパの古い街の庁舎建築には、そういうものが結構あります。使い勝手が悪くなったら壊して新しいものを建てるという、ゼネコンに都合の良い理論で現代日本の建築事情は組み立てられています。ローマは第2次世界大戦の時、確か1943年7月19日に初空爆を受けるのですが、その翌日、参謀本部はイタリア国王と掛け合って休戦を決めるんです。ローマが燃えることに彼らは耐えられなかった。コロッセオがある、カラカラテルメ(浴場)がある、フォロ・ロマーノがある、何よりバチカンを焼いていいのか。建築文化が戦争を止める抑止力になったのです。だけど、東京は初空襲から3年4か月持ちこたえた。こう見ると、日本の首都東京に後世へ伝えるべき建築物などなかったのだろうなと、私は切なく思うわけです。

(御厨)  みんながそう思う建築はなかったのでしょうね。明治維新以降で言えば、国会議事堂ができたのが1936年。2・26事件が起こった後、議会制で一番大事な議事堂が出来たというのも皮肉です。今、ウクライナとロシアが戦争をしています。不思議だと思うのは、昔なら、ロシアと言えばクレムリン。クレムリンに誰がいて、命令を出してという話になり、大統領や首相の名前の代わりに「クレムリンが」と言ったりしましたが、今回、そういう表現が一切出てこない。どこにプーチン大統領がいるのかも分からない。プーチンは自分がいる所から勝手に演説をしている。ウクライナのゼレンスキー大統領がどこにいるのかも、よく分からない。建築はいっぱい壊されているが、「権力の館」みたいな話はここに出てくるのか、出てこないのか、どうでしょうか。

クレムリンの赤の広場に経つポクロフスキー聖堂
クレムリンの赤の広場に経つポクロフスキー聖堂

(井上)  私はソビエトのある本質を、建築が表していると思います。ソビエト共産党は全く新しい社会を考えていた。少なくとも初期のレーニンたちは全く新しい社会を実現しようと思っていた。その人たちがロマノフ王朝のクレムリン宮殿に入ったのです。そういう政権だったんでしょうね。中国の共産党も人民の新しい社会を夢見たはずなのに、北京の故宮や中南海、そして天安門を一番象徴的な場所にした。これは明治維新政権が江戸城に入るようなものです(結局は入ったのですが)。ヒトラーはカイゼル(皇帝)の施設に入らず、自前の施設にこだわった。こういう事を政治の色分けに使うことができるのではと、私はひそかに思っています。

(御厨)  できると思いますね。政治と建築をめぐるいろんな話をしてきましたが、新しい形で建物を論じる道筋がつけられるような議論が多少ともできたかなという感じがします。

(井上)  ITとかデジタルとかには、権力に固有の館というものの存在感を弱める所があるのかもしれません。共産党でさえこだわったクレムリンという色合いが弱まり、ITによる建築をこえた支配の時代が来ている可能性はあります。新しい段階で権力の館を考えなおす時なのかもしれません。

※本講座の動画は こちら からご覧いただけます

1

2

3

スクラップは会員限定です

使い方
「エンタメ・文化」の最新記事一覧
2879527 0 読売Biz フォーラム 2022/03/30 15:03:00 2022/03/30 15:28:21 2022/03/30 15:28:21 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/03/20220325-OYT8I50001-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込みキャンペーン

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)