[空想書店]無数の本 客を苦悩の底に…1月の店主は遠藤秀紀さんです

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 カーナビとやらが世に現れたとき、思慮浅き大衆は喜んだ。「初めての行き先でも無駄なく道順が見つかる。これで便利になった」と。冗談じゃない。以後、人間は道に迷うことを許されなくなったのだ。たかが合理主義とテクノロジー ごと きのために、人はまたひとつ、普通の町の普通の道の普通に在った幸せを失ったのだ。

 書店とは迷い道だ。それは素敵過ぎる迷い道だ。そこへ行けば、目の前には手に取ることのできる本が無数に並んでいる。その一冊一冊が一人の人間の人生をあっさりと左右する。本は読む者に遠慮はしない。本の数だけ人生は走り、曲がり、止まり、逆走すら起こす。本は罪深い。と同時に、本はどんな合理的経済よりも、人を優しく愛す。

 書店は本を買うための便利な建屋では、ない。本と人の出会いは、在庫と配架と店員の気まぐれによって、無限に揺らぐ。下町のマッチ箱のような書店だと、 欠伸あくび の絶えない 親父おやじ 店主の寝ぼけ眼でもって、本たちは想像を絶する並び順に化ける。週刊東洋経済とゴルゴ13が隣接しているのには、親父の 博打ばくち 的商才をぎりぎり認めないわけでもないのだが、ママ必見育児雑誌と官能小説が連なるのは、いくら店が狭くてももっとなんとかすればいいのに。

 そう思ったときに、書店の恐ろしい本質が頭をもたげた。親父の配架の 混沌こんとん を征服し、遠慮なき本の来襲を撃砕し、初めて来店者は幸せを勝ち取る。左様、書店とは来客の戦場なのだ。書店とは、人が 苦悶くもん し、人生を さら け出す極楽なのだ。

 GPSナビが売られたのが30年前。街から書店が一つ二つと消え始めたのもその頃だろう。お茶目な市場原理が作ったインターネットの本売りサイトは、どうやらカーナビ同様に、無駄なく迷わず本を見つけられる契約画面を目指したらしい。そんなものは、よほど本と縁のない愚昧な やから の所産だ。そこで客は何を得るのか、無駄を捨て、迷いを捨て、苦悩を捨て、幸せを捨てて……。

 さて、店開きの前から、あたしの書店の有り様は決まっている。書店はいつの時代にも書店でなければならないからだ。優しい本があなたを迎えるだろう。「いらっしゃい」と。

 けれど書棚の前に立ったが最後、あなたの人生を、不安と苦悩と恐怖と迷いのどん底に突き落としてみせよう。悪いが、それがあたしの書店のやり方なのだ。

 丸善丸の内本店(JR東京駅前)の3階で、近日中に遠藤秀紀さんの「空想書店」コーナーが登場します。

  遠藤 秀紀(えんどう・ひでき)  1965年、東京都生まれ。東京大総合研究博物館教授。「遺体科学」を提唱。動物死体を解剖、骨を残す。現代社会の生命観を斬りつつ、いまを生きる。著書に『東大夢教授』『人体 失敗の進化史』など。

店主の1冊

『文学部唯野教授』(筒井康隆著、岩波現代文庫、1320円)

 本作後30年、文化の源泉たるべき大学は悪意に 蹂躙じゅうりん され、市場経済の一パーツに解体された。まともだった頃の大学を取り戻したくて、唯野に会いに行く。

『透明な夜の香り』(千早茜著、集英社、1650円)

 千早さんの麗しき宇宙だ。香りの超人「 さく 」の設定に ずる い狡いと突っ込みながら、 まぶた を閉じて味わいたくなる香気に、乾杯。

『還れぬ家』(佐伯一麦著、新潮社、2530円)

 1965年が生まれ年だ。誰もが盛りの後に老い、朽ちる。雌社会に捨てられる雄ライオンか、男なる生き方の 終焉しゅうえん が気になってきた。

『氷平線』(桜木紫乃著、文春文庫、682円)

 性愛とは2人だけの無限の執着か。女の筆が描く男の性を違和感なく受け止めつつ、思う。男と女、永遠に 綺麗きれい で、永遠に かな しい。

『世界屠畜紀行』(内澤旬子著、角川文庫、968円)

 殺生の日常に身を浸してきた人ほど、真実をつかみ、謙虚な好奇心で命と交錯できる。 ページ に、 ほふ ることの健やかさを見よ。

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2685287 0 コラム 2022/01/21 05:25:00 2022/01/21 05:25:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/01/20220117-OYT8I50019-T.jpg?type=thumbnail

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