[現代×文芸 名著60]心に触れる<10>対等なヨコ関係の親子…『ジャージの二人』長嶋有著

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◎2003年刊、現在は集英社文庫(430円)。
◎2003年刊、現在は集英社文庫(430円)。

 携帯電話もろくに通じない山荘に赴く父と息子。そこで数日間過ごすのが、子供の頃からの夏の恒例行事だ。カメラマンの父は離婚と再婚をくりかえす。小説家志望の「僕」は僕で、妻に好きな人ができてぎくしゃくしている。「ちゃんとしていない」二人なのだ。

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 親子に対立や断絶はない。TVゲームをして遊ぶ父親と、同じ漫画を読んで感想を言い合う。そんなフラットな関係は、山荘にいるあいだ二人がジャージを着ていることにもあらわれている。

 権威がないのは父親にかぎったことではない。お菓子のプリングルズも、作家のカルヴィーノも、小説の中では同じ距離感でならべられている。

 権威が存在する上下のタテ関係ではなく、フラットで対等なヨコ関係が基本形の時代。親子や夫婦はばらばらになってはしまわないか。でも人は、山奥でもどうにか電波を受信できるレタス畑のようなスポットを探しだして、祈るように携帯電話をかかげてつながろうとしてしまう。権威なき時代、人やモノを結ぶのは個人的な記憶や思い入れになるのかもしれない。

 小説の時間軸もタテではなくヨコ、現在が主となるが、そんな「いま」を切りとった文章の隙間からのぞくのは、過去のふとした瞬間だ。それは父がTV番組の収録後、捨てられてしまう花を花束にしてもらって持ち帰る光景だったり、妻が初めて犬を散歩させたとき、ひもを「御していない」ことだったりする。確かに父は「ちゃんとしていない」が、不誠実なわけではない。妻も自分の気持ちに素直すぎるだけなのだ。

 小説は「僕」の瞬間瞬間の心の動きを、短歌か俳句のように切りとった文章が連なっている。あるいは名カメラマンか。だから、切りとられなかった部分が気になる。余白の芸なのだ。(秋草俊一郎・比較文学者)

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