[現代×文芸 名著60]心に触れる<15>過去と向き合い生きる…『ある男』平野啓一郎著

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◎2018年刊、文芸春秋(1600円)。
◎2018年刊、文芸春秋(1600円)。

 「他人の傷を生きることで、自分自身を保っているんです」。小説家の「私」はそう語る男とバーで出会う。弁護士であるその男、城戸章良は、自らが長らくのめり込んでいた「ある男」をめぐる案件について小説家に語りはじめる。「私」はその男を主人公にした小説を書き、その小説の読者である我々は、そこに描かれた人物たちの物語に引きこまれていく。

[現代×文芸 名著60]全作品リンク集

 城戸は以前離婚調停を担当した谷口里枝から突然相談を受ける。事故死した夫が他人になりすましていたらしいと。自らの出自にまつわる差別に直面し、家庭生活も必ずしも良好とは言えない城戸は、「心情を仮託する他人」を求めるように、人生を丸ごと他人と取り換えた男の調査に没入していく。それはある男の居場所を突き止めるための調査であると同時に、「愛にとって、過去とは何だろうか」と自問する城戸の自分探しの旅でもある。

 本作で提示される様々な問題は、幅広い人間関係――特に家族関係――の中で探求される。いかなる手段を用いても家族から距離を置こうとする者も、崩壊寸前の家庭を何としてでも保とうと奮闘する者も、多くはそのために過去を上書きしようと試みる。

 そんな中、過去と共に生きる姿勢を最も明確に示すのは、里枝とその長男だろう。思春期の文学青年が、城戸の「報告書」に書かれた「後のお父さん」の新たな物語を受け入れる姿は心に迫りくるものがある。

 ウェブなどで過去の知人とも容易につながり、現在の歩みも細かく記録されていく現代において、「過去の縛り」をより強く感じている人も少なくないのでは。そんな時代に、本作は過去と向き合いながら生きていくことの意味を考える機会を与えてくれる。(辛島デイヴィッド・作家、翻訳家)

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