[現代×文芸 名著60]言葉を楽しむ<18>帰郷で重なる記憶と歴史…『模範郷』リービ英雄著

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2016年刊。現在は集英社文庫(540円)
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 思えば不思議なことだ。

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 リービ英雄は英語を母語とするアメリカ人で、中国語は日常会話レベル。私は中国語を母語とする台湾人で、英語はボロボロ。そんな彼が書いた小説を、私が読んでいる。私たちの共通言語、日本語で。

 『模範郷』は、帰郷の物語だ。帰郷時の感情を、中国語の「ジンシャンチンチュエ」という成語ほど的確に捉えている表現はないと思う。旅人が故郷に近づくほど、気持ちがおびえてしまうのは何故なぜだろうか。自分のいない間に何もかも変わってしまったのではないかという不安、自分の知っている故郷はもうそこにはないのではないかという恐怖。帰郷しない限り、故郷は記憶で生き続けるが、一旦その不在を目の当たりにすると、記憶の中ですらそれは失われる。

 それにしても、五十年ぶりの帰郷とは――三十年にも満たない私の人生と比べれば、あまりにも壮大な話だ。著者は一九五〇年代後半、六歳から十歳の間、大日本帝国が台湾で残した日本人村「模範郷」に住んでいたが、両親の離婚でその地を離れた。二〇一三年、知人の手紙を機に、彼は半世紀ぶりの帰郷を決意する。

 「阿片あへん戦争から始まった、億単位の人を巻き込んだ、百年の殺戮さつりくの、その歴史の末の時間の中で、たかが父の姦通かんつう、たかが親の離婚、ぼくの家族の小さな物語があった」――著者の極めて個人的な感情と記憶は、歴史の大河に対峙たいじした瞬間、深みが生まれ、ほのかにきらめき出す。それを読むとおのずと、圧倒的な時空間に対する畏敬の念が生じる。

 昨今、歴史に向き合おうとせず早々に忘れ去りたいと願う人が多い中、歴史がもたらした巨大な断裂の余波、その渦中に私達は今でもいるということを、本書の読者なら心得るに違いない。 (李琴峰りことみ・作家)

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