[現代×文芸 名著60]言葉を楽しむ<19>小さな町 ひろがる人生の綾…『雪沼とその周辺』堀江敏幸著

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2003年刊。現在は新潮文庫(430円)
2003年刊。現在は新潮文庫(430円)

 巧みな語りが伝える、人物たちの息づかい。『雪沼とその周辺』の7つの短編は、いずれも芸術の域に達している。描かれるのは元プロボウラー、料理家、段ボール製造業者、書道家、レコード販売、食堂店主、消火器販売……。決して達人や天才ではないが、特有のこだわりと誠実さをもって「腕前」を磨こうとした人々だ。そんな彼らの姿が、失われゆく昭和の文化とも重なる。

[現代×文芸 名著60]全作品リンク集

 舞台となる雪沼は地方の町。谷間に流れこむ川の一帯を衰頽すいたいの影が覆い、変わりゆく先も見通せない。そんな中、「分解して組み立てられるくらいの、単純だが融通のきく構造が、機械にも、社会にも、人間関係にも欲しい」との願いが聞こえる。

 町の人々を生かすのは、言葉や記憶からふくらむ想像の力だ。「スタンス・ドット」では、元プロボウラーのピンを倒す音から神話的な響きが鳴る。「イラクサの庭」では、料理家の死に際の一言から、遠いフランスの物語が花咲く。すべてが何となくかしいでいる、との感覚にとりつかれる「河岸段丘」では、雪沼の来し方を見渡す。

 「生き物の骨と皮」を含むという墨。だから「生きた文字は、その死んだものから、エネルギーをちょうだいしてる」(「送り火」)との死生観は、本作のスタイルの土台でもある。力むことなく、エゴを脱ぎ捨て、聞き耳をたて、右へ左へと話を展開。ときに脇役の人物が思わぬ味を出し、誰が主人公かわからなくなる。ごく小さな町のごく狭い出来事から、視界いっぱいに人生のあやがひろがり、これが世界か、これが人間か、と大空を見上げるような感慨にひたってしまう。等身大の静かなリアリティをたたえた雪沼。そこをおとぎ話のような、時を超えたメルヘンの香りが包むのである。 (阿部公彦・英文学者)

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