[現代×文芸 名著60]社会と接する<37>美しい鎖骨から狂う人生…『冬の旅』辻原登著

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◎2013年刊。現在は集英社文庫(740円)。
◎2013年刊。現在は集英社文庫(740円)。

 『冬の旅』の主人公緒方隆雄は、刑務所から出所する三八歳の前科者として私たちの前に登場する。舞台は大阪。どぎつい関西弁。まさに任侠にんきょう物のオープニングだ。しかし、彼はごくふつうの男にも見える。一つだけ違うのはその美しい鎖骨だった。これが彼の人生を狂わせることになる。

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 緒方は高卒後、就職に失敗、仕方なく、中華料理店でアルバイトを始め、白鳥満と遭遇する。この男、男性の鎖骨に異様な執着を抱く人物だった。ところが店長が二人の関係を誤解、緒方は店を追われる。転落が始まるのはここからだ。

 緒方の鎖骨に魅了されたのは白鳥だけではない。大震災の最中に出会った看護師の鳥海ゆかりもそんな一人だった。二人は結婚し、つかの間の幸福を得るが、緒方の知らない過去を抱えたゆかりはやがて失踪。彼女が悲劇的な最期を迎える場面では、巨大な筋書きの全貌ぜんぼうあらわになる。感動的な場面だ。

 ストーリーを語る巧みさにおいて辻原登は傑出する。伏線を張り巡らし、皮肉な偶然でひねり、幾筋もの流れを超絶技巧の手さばきでまとめる。阪神・淡路大震災の現場、刑務所やカルト宗教の内情から性行為、殺人まで、細部の描写も実に精緻せいちだ。

 しかし、辻原はリアリズムに安住しない。作り上げた精緻な世界を、こんどは解体しにかかる。冥界めいかいへの一瞥いちべつ。謎めいた科白せりふ、幻聴、幻視。リアリズムに穴がうがたれると、やがて不可解な「心」の問題が現れる。見慣れた日常世界の向こうから聞こえる人間の声は、暗く奇妙で、しかしひどく懐かしい。

 どんな作家も自らのリアリズムに足場を持つ。しかし、辻原登はそこから出ることにもこだわる。彼にとっての“リアル”はまさにそこにあるのだろう。

 (阿部公彦・英文学者)

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