[現代×文芸 名著60]社会と接する<38>因習に生きた母の半生…『晴子情歌』高村薫著

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◎2002年刊。現在は新潮文庫(上下巻各670円)。
◎2002年刊。現在は新潮文庫(上下巻各670円)。

 ミステリーやサスペンスの書き手だった高村薫は、2002年、それまでとは趣向の異なる小説を発表した。『晴子情歌』だ。事件とその展開よりも、むしろ人物や風土を描くことで見えてくるものに力を注いだ小説だ。著者が主人公を女性にしたのも、これが初めてだった。タイトルの晴子がその名前だ。

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 東京から青森へ、青森から北海道へと晴子の居場所は移り変わる。漁業に従事する人々や北の風物を描写する筆致は鮮明だ。やがて父をなくして独りになった晴子は、青森の野辺地に送られて、福澤家で奉公を始める。福澤家は、事業と政治に関わる家だ。

 政略結婚や血筋などをめぐり、因習的な生活が続く。時代の波や旧来の在り方を保った暮らしに、人々は運ばれる。晴子はその一人なのだ。昭和の一時期の地方を切り取って煮詰めたような作品だが、ここに、新しく作り出された懐かしさを見ることもできる。

 この小説は、母の晴子が息子の福澤彰之あきゆきに宛てて送った手紙、というかたちを取る。彰之は、北洋漁船に乗って働いている。北の海の上で手紙を読むのだ。つづられている内容は、息子が知らない母の半生だ。

 彰之は、嫌悪の感情ゆえに家や自分の痕跡を否定する息子だ。母から届く手紙は余人の入り込めない場を形成する。ある意味で濃密な、母子という関係に、手紙のかたちで差し込まれる言葉の数々は、何を伝え、あらわにし、そして代わりに何を隠すだろうか。

 著者は福澤彰之を本作以降も描いた。『新リア王』『太陽をく馬』だ。『晴子情歌』だけでは手放せない人物だった、ということになる。人をき動かすものは何か。著者は、情動の源に迫り、掘り下げようと試みた。その熱が伝わる。(蜂飼耳・詩人)

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