[現代×文芸 名著60]生命を感じる<46>災厄からのしぶとい再起…『空にみずうみ』佐伯一麦著

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*2015年刊、現在は中公文庫(960円)
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 聡明そうめいで思索好きの青年は、地元仙台の名門高校を卒業すると、思うところあって進学せずに上京した。若くして父親になり、いくつかの職を経験した後、電気工として勤務。しかし、運命は過酷だった。自分も子供も心身の不調にみまわれる。離婚を経験し、自殺未遂も起こした。

[現代×文芸 名著60]全作品リンク集

 私小説作家として若き佐伯一麦(かずみ)が描いたのは壮絶な人生航路だった。しかし、そこに読めるのは降りかかる災厄をひたすら耐え忍ぶ姿ではない。むしろ逆だ。佐伯の主人公はつねに挑戦的である。逆境にあってもこだわりを捨てず、希望を持ち、戦略を立て、ストイックに眼前の仕事に打ちこむ。

 もちろん敗北感に打ちひしがれることもある。しかし、敗北からのしぶとい再起の道程にこそ、佐伯一麦の文学の魅力はある。『空にみずうみ』の連作はそんな回復の日々を、東日本大震災後の東北地方を舞台に、みずみずしい文章で描き出す。

 中高年の域に達した彼は、持病の喘息ぜんそくにとどまらず、電気工時代に大量に吸いこんだアスベストによる肺の不調をはじめ、数々の失調に苦しめられている。もはや無理はきかない。それでも主人公は、新しい伴侶を得て穏やかな生活を送りつつある。

 草花、動物、虫など自然の風景に注がれる観察眼は、伝統的な私小説の系譜にもつらなるが、佐伯の個性が本当に出るのは、太陽の側に虹が出る「環水平アーク」なる現象を話題にするあたりの、探究的な視線だろう。

 樹木、蛇、ミソ、勉強机と等身大の日常風景を支える事物に生命の力と詩情を見いだしつつ、さらに身を乗り出し、自ら手を動かしながら世界の懐に入ろうとする主人公には、たくましい古代人の風情さえ漂うのである。(阿部公彦・英文学者)

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