[現代×文芸 名著60]生命を感じる<50>五感で向き合う科学者…『真昼のプリニウス』池澤夏樹著

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◎1989年刊、現在は中公文庫(590円)。
◎1989年刊、現在は中公文庫(590円)。

 天変地異や飢饉ききんや疫病の蔓延まんえんが起きるたび、ひとはその体験を後世に伝えてきた。映像記録媒体がない時代は、文字にして。それもなければ口承で。神話の語りは科学の起源ともいわれる。人間は、世界をどう語ってきたのか。本作はそこをさぐる小説だ。

[現代×文芸 名著60]全作品リンク集

 火山学者の頼子は、弟に紹介された広告業の門田から、構想中の電話サービスについて相談される。「シェヘラザード」と称されるそれは、電話をかけるたび短い小話がランダムに流れ、いっときの無聊ぶりょうをかこつ仕組み。門田はそのお話のネタを頼子にねだるのだ。

 有用性の乏しさの指摘に彼はこう言う。「人は意味や意義や目的や効率に飽きているんですよ」。無意味な知的営為という点に頼子は興味を持つ。火山学者として、地球を何万年単位の時間感覚でとらえる彼女もまた、現代的な効率主義に疑問を感じていたからだ。

 一方、仕事で、天明三年の浅間山噴火を伝承した市井の女性の手記を読み、整合性をつけすぎる「物語」の危うさにも思い至る。

 「なぜあなたはあの手記を書いたのですか?」「それは、怖いからです」

 言葉にしなければ、無秩序で圧倒的に強大な世界の様相を、人間が把握することなどできない。世界に対して畏怖の念を持つこと。頼子は「物語」の力の考察を通じて、門田の欺瞞ぎまんにも気づいていくのだ。

 理知的で科学の頭脳で生きてきた頼子が、非科学的で直感的な、世界との関わり方にもうひらかれる、意識の変化が繊細に描かれる。長年煮え切らない関係にある恋人との未来図も、観測データには表れない火山の胎動にも、頭でなく五感で向き合ってみたならば?

 刊行から30余年。本書は、いまの世相を読み解く上でも、ヒントをくれる。

 (江南亜美子・書評家)

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