[現代×文芸 名著60]生命を感じる<51>二・二六事件 前夜の悪夢…『雪の階』奥泉光著

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◎2018年、中央公論新社刊(2400円)。
◎2018年、中央公論新社刊(2400円)。

 昭和11年(1936年)2月26日の青年将校たちによるクーデター「二・二六事件」。そのおよそ1年前の昭和10年4月、物語は幕を上げる。天皇機関説事件で世が揺れるなか、笹宮伯爵令嬢惟佐子の親友である大学教授の娘と国家改造を唱える青年将校が情死を遂げる。惟佐子と女性写真家がその死の謎を追って、さらに来日中のドイツ人音楽家が死亡して、物語は「その日」へと転がり始める。

[現代×文芸 名著60]全作品リンク集

 まずはそんなミステリ仕立て、となればポリティカルに物語が進むかと思わせながら、そこは現代の「奇想の達人」たる著者の筆が虚々実々にえ渡って、読者はどこか甘やかでありながら悪夢めいた迷宮へと引きずり込まれる。

 もちろん精緻せいちなミステリ(いや、ここは昭和戦前の呼称に従って探偵小説か)としても楽しめるが、西洋オカルティズムと日本神話の迷宮を共鳴させて、正史の裏面にありえたかもしれないある精神のかたちを描いた幻想の文学でもある。読者を不安定に揺さぶる文体がさらにその感覚を深めて、なにせ物語の昭和10年には小栗虫太郎『黒死館殺人事件』と夢野久作『ドグラ・マグラ』と、昭和戦前の文学を語るに欠かせない幻夢の大作が刊行されている。探偵小説掲載の雑誌『新青年』の読者として紹介される惟佐子もまたこれらを読んでいたかもしれない。

 物語の「その日」の前夜、雪の階の静寂が美しい。夢かうつつか、このヴィジョンを等閑視とうかんしできない世界をいま私たちは生きる。前夜の悪夢を生き延びた惟佐子たちは、続く激動をどのようにくぐり抜けるのか。作中人物が見るカタストロフの幻影がやがて現実のものとなるのを私たちは知っている。そんな私たちのいま、この不安な日々に、物語の続きが読みたい。(土方正志・荒蝦夷代表)

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