[現代×文芸 名著60]生命を感じる<55>人々の心結ぶ純粋な魂…『九年前の祈り』小野正嗣著

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◎2014年刊、現在は講談社文庫(620円)。
◎2014年刊、現在は講談社文庫(620円)。

 生者と死者が共存する地で折々の祈りの声が響く。

[現代×文芸 名著60]全作品リンク集

 本作では、四つの物語が折り重なりながら多声的な世界が形づくられていく。

 舞台は大分県の漁村。過疎化が進む地域の現実は過酷だ。一見「清潔」に見える町も「死の臭い」をまとう。

 そこで人は助け合いながら生きている。特に女性たちはたくましく、問題に直面するたびに連帯を深める。それだけに輪に加われない者は孤独だ。

 「ウミガメの夜」では産卵のために岸にあがってきたウミガメが東京から来た大学生にひっくりかえされてしまう。亀は「何もくものもないのに掻」くが、「失われた時間を引き寄せることも、消したい時間をはね散らすこともできな」い。

 そのもがく姿は、さまざまな不安を抱えて故郷に戻ってきた人物たちと重なる。「悪の花」の千代姉は「人々の根も葉もない」うわさ話にひとり耐え、表題作のさなえは自らの世界にこもりがちな幼子から「自由になりた」いと行動に出る。「お見舞い」のマコ兄にいたっては、自らの立場を正当化するために「ガイジン」から町を守る自警団までつくってしまう。

 追いつめられた外れ者たちは巡礼の旅に出る。車や船で移動しながら、不確かな記憶をたぐり寄せ、現在と過去を行き交うことにより精神のバランスを保つ。

 その回想の中に常に現れるのが、幼い頃「人よりも歩き出すのが遅い、しゃべり出すのも遅い」と両親を心配させたタイコーだ。「重篤な病」で入院中の中年男性は、人々の記憶の中でしか登場しない。だが、その純粋な魂は人々の心を結びつけ、和解への一歩を踏み出す勇気を与える。

 他者の痛みを想像し、自らの心を開け。本を閉じた後も本書はそうやさしく呼びかけてくる。(辛島デイヴィッド・翻訳家、作家)

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