『リズムの哲学ノート』 山崎正和著
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流動する生命現象
「私」が外界を眺め、自由意志に基づいて行動を決める。そう見なすことが近代思想の前提であり、いまの社会では常識にしみわたって、法や制度を支えている。
だがそれは本当だろうか。実体験に即して考えてみれば、何かを決意した場合、どの瞬間にその意志が発生したのか特定するのは不可能である。「○○する気になる」という言い回しに現れるように、いつのまにか決めていたというのが実状だろう。思考も「ひらめく」「浮かぶ」ものであって、その出現を「私」は受けとめている。
本書は『装飾とデザイン』『世界文明史の試み』に続く、山崎正和による文明史の第三弾であるが、自由意志の存在を虚構とみなすラディカルさが、前の二作になかった新たな境地を示している。ここで人間の「私」の実在は否定され、世界に充満し、外界から身体の内にしみこんでくる流動が、その真の姿にほかならないとされる。
この発想は、アンリ・ベルクソンやモーリス・メルロ=ポンティといった哲学者たちの理論を、さらに一歩進めたものである。心と身体、内面と外界の区別を排して実像に迫ったとき、そこに見いだされる流動は、生き生きとしたリズムによる区切りを伴っている。「私」もまた、生命現象のリズムの一単位として切り出されたものにすぎないのである。
しかしこれは、自我の放棄と無作為のすすめではない。山崎は、このリズムによって人間の文明もまた支えられていると指摘し、社会の営みにおいては常識に従って、「私」の実在と人権を守る立場にとどまるのが望ましいとする。
常識の世界と、「私」を消し去る哲学の立場とを往復する営みもまた、時間の進行にそって、あるリズムを刻むことになるだろう。ここで文明史の構想は深い次元へ発展をとげており、さらなるスリリングな展開への期待を誘う。
◇やまざき・まさかず=1934年、京都府生まれ。劇作家、評論家。著書に『柔らかい個人主義の誕生』。
中央公論新社 2200円