『こないだ』 山田稔著

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『こないだ』(編集工房ノア)
『こないだ』(編集工房ノア)

みずみずしい回想

 昔、横溝正史の晩年のエッセイでこんな述懐を読んだことがある。うろおぼえで記してみる。有名な歌に「思い出だけが通りすぎてゆく」という文句があるが、老境に入らないと、その寂しさは本当にはわからないだろう。江戸川乱歩をはじめ、若い頃からつきあってきた数々の友人たちが、いまはもういない。――これを読んでからずっと、年をとるとはそういうことかと納得した気がしていた。

 だが、一九三〇年生まれの山田稔によるこの散文集を読むと、それは少し違うと思えてくる。富士正晴や多田道太郎といった、これまでの山田作品でおなじみの人々から、留学先のパリで出会った少年や、詩集を読んだだけで面識のない詩人に至るまで、さまざまな人をめぐる回想が多くを占める本である。

 そしてこれも一種の回想と言っていいだろう。京大本館前の大きなくすの木に、かつて紛争学生が切り倒そうとしてつけたはずの傷跡が、ほとんど消えていることについて。「いや、妄想などではない。そう否定するとき私の胸のうちに傷跡が鮮明さをましてよみがえってくる。現実には消えているぶんだけ、いっそうくっきりとよみがえってくる。その感覚を何時までも失いたくない」。

 この本に登場する、いまは面影や作品だけをのこす人や猫(実はこの猫の話があまりに哀切で、きちんと読めなかった)についても同じだろう。回想のなかで、その姿は鮮やかに復活し、生前に見せなかった風貌ふうぼうすら示してくる。そこに漂う感情は温かなノスタルジアだけではない。時に、読んでいるこちらの背筋を伸ばさせるほどに苦いのである。

 奇をてらったり偉そうにしたりすることを避け、静かに語りかけるような文体が、記憶をくっきりと描きあげてゆく。そこに現れている精神の運動はいつもどおりに柔軟で、そしてみずみずしい。

 ◇やまだ・みのる=1930年生まれ。作家、元京都大教授。著書に『スカトロジア』『コーマルタン界隈』。

 編集工房ノア 2000円

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26382 0 書評 2018/06/25 05:28:00 2019/01/16 11:07:00 『こないだ』(編集工房ノア) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180618-OYT8I50021-T.jpg?type=thumbnail

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