『三島由紀夫と天皇』 菅孝行著 『三島由紀夫は一〇代をどう生きたか』 西法太郎著

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書評(7日、東京都千代田区で)=横山就平撮影
書評(7日、東京都千代田区で)=横山就平撮影

戦後への徹底した懐疑

 三島由紀夫の文学と思想の歩みには、その自衛隊駐屯地に突入しての自死という結末に至るまで、十代のころの、古典における美の伝統を説く日本浪曼派の文学との出会いが常に影を落としていた。西法太郎の新著は作家の初期と、その「故郷」へ急速に回帰してゆく晩年における精神のありさまを、詳しく解明している。

 実際には日本浪曼派の代表者、保田與重郎やすだよじゅうろうと何回か会っているにもかかわらず、三島は一度だけとしか語っていない。そうした態度に西は深い屈折を読みとる。戦時下で保田の説く「滅びのあわれさ」に魅せられ、英雄の死に憧れていたにもかかわらず、敗戦ののちに保田も自分も生きのびてしまった。その忸怩じくじたる思いが保田への姿勢を両義的なものにしたのである。

 しかし、日本浪曼派の説いた「浪曼的衝動」は三島の精神の底に生き続けた。晩年に至り、『奔馬』の題材とした神風連の乱への関心とともに浮かびあがってきたのは、蓮田善明の文学への愛着にほかならない。蓮田は保田よりも直線的に、日本の古典における「みやび」と、外敵を討つ尊皇心との連続性を説いたのであった。最後の蹶起けっきに至る道もそこから発している。

 三島の晩年の論考「文化防衛論」から、そうした「みやび」の特異性を理解しなかった昭和天皇に対する批判を、西は読みとっている。菅孝行の新著もこの点に注目しながら、昭和天皇と「戦後天皇制」に対する批判が、『仮面の告白』『近代能楽集』から晩年に至るまで、三島の文学の「隠された主題」だったと指摘する。菅の見るところでは市ヶ谷駐屯地での自刃も、神としての性格をみずから否定した昭和天皇に代わり、直接行動を敢行する身体へと「天皇霊」を憑依ひょういさせる試みであった。

 西の詳しい実証と、菅の大胆な分析と。その両方が明らかにするのは、戦後日本の文学と政治の双方に対して、徹底した懐疑と批判を続けた思想家の姿にほかならない。

 ◇かん・たかゆき=1939年、東京生まれ。評論家

 ◇にし・ほうたろう=56年、長野県生まれ。文筆家。

 『三島由紀夫と天皇』平凡社新書 900円

 『三島由紀夫は一〇代をどう生きたか』文学通信 3200円

無断転載禁止
60381 0 書評 2019/01/21 05:26:00 2019/01/21 05:26:00 書評(7日、東京都千代田区で)=横山就平撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190115-OYT8I50029-T.jpg?type=thumbnail

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