南方からの帰還 増田弘著…慶応義塾大学出版会 2700円

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◇ますだ・ひろし=1947年生まれ。専門は日本政治外交史。著書に『マッカーサー』など。立正大名誉教授。
◇ますだ・ひろし=1947年生まれ。専門は日本政治外交史。著書に『マッカーサー』など。立正大名誉教授。

知られざる抑留と復員

 評・橋本五郎(本社特別編集委員)

 抑留と言えばまず思い浮かべるのはシベリア抑留である。しかし、ビルマ、インドネシア、ニューギニア、フィリピンなど南方抑留者は軍人・民間人を含め120万人に上った。シベリア抑留者約60万人の倍である。しかも復員終了まで2年半も要した。なぜなのか。抑留や強制労働の実態はどうだったか。連合国側の一次史料を駆使してその全体像を描き切っている。

 南方の地で散った人々にささげられた「鎮魂の書」ともいうべき本書からさまざまな事実が浮かび上がってくる。国によって日本人捕虜の処遇や収容所の運営でかなりの違いが見られたのもその一つ。英国軍やオランダ軍はジュネーブ協定に基づく「戦争捕虜」ではなく、「日本降伏者」と見なして無賃金・無報酬労働を強要した。彼らは日本による捕虜生活で味わった恨みを晴らすべく容赦ない仕打ちを繰り返した。

 これに対しマッカーサーは国際的義務の履行を求め、「戦争捕虜」として賃金の支払いをするよう英国側に圧力をかけ続けた。その一方でフィリピンでの戦犯裁判では執拗しつようなまでに日本側将軍の厳罰を主張した。日本軍の猛攻を前に部下を見捨ててフィリピンから逃亡した屈辱の過去、負の体験があったからだ。歴史における人間的要素の重要さを知るのである。

 救いは現地の日本人司令官たちの沈着冷静な姿である。なかでも第8方面軍司令官今村均大将は角田房子の名著『責任 ラバウルの将軍今村均』で知っていたとはいえ、その存在感に圧倒される。強制収容所のキャンプ生活では自給自足生活を徹底させ、あえて早期復員を求めなかった。大量に帰国すれば戦災で廃虚となった本土の負担になると思ったからだ。

 戦犯裁判が始まるとまず最高責任者である自分を裁くよう求めた。特設キャンプに入ることを志願し、入所翌日に自決さえ試みた。極限状況にあってもりんとして品位と慈愛を失わないリーダーがいたことを誇りに思うのである。

無断転載禁止
747541 0 書評 2019/08/18 05:00:00 2019/08/26 10:29:46 [書評] 「南方からの帰還」 増田弘(5日、東京都千代田区で)=若杉和希撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/08/20190817-OYT8I50043-T.jpg?type=thumbnail

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