阿倍仲麻呂…森公章著 吉川弘文館 2100円

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等身大の仲麻呂像

 評・佐藤 信(古代史学者 東京大名誉教授)

◇もり・きみゆき=1958年生まれ。東洋大教授。著書に『古代豪族と武士の誕生』『天智天皇』など。
◇もり・きみゆき=1958年生まれ。東洋大教授。著書に『古代豪族と武士の誕生』『天智天皇』など。

 最近、奈良時代に唐に渡った留学生るがくしょうの吉備真備が「日本国朝臣あそん備」の名で銘文を書いたとみられる唐の官僚の墓誌が、中国で見つかった。真備は、多様な学芸を身につけて帰国し、聖武天皇に重く用いられて政界で活躍した。その後再び遣唐副使として渡唐した後、称徳天皇のもとで、地方豪族出身でありながら右大臣にまで登った人物である。

 この吉備真備と同じ717年に若くして渡唐した留学生が、阿倍仲麻呂である。「朝衡ちょうこう」と名乗り、唐の太学で正式に学び、「わが朝の学生で名を唐にほどこしたのは真備と朝衡のみ」といわれた。推挙されて唐の官界に入り、玄宗皇帝の信任を得て側近に侍する高官にまで出世し、李白、王維らの文化人とも親しく交流した。後の遣唐使も、仲麻呂による支援をしばしば受けた。真備の帰国の際は皇帝の帰国許可が下りず、その後の帰国も遣唐使船の漂流により失敗し、結局唐で客死した。「あまの原ふりさけみれば……」の望郷歌の作者とされることは名高い。

 阿倍仲麻呂についての研究は戦前からあるが、研究が盛んに展開している今日の古代東アジア交流史の新しい成果をふまえた伝記の試みである。長い在唐のため史料が少ないだけに、同時代の遣唐使や留学生のあり方を参照しながら、当時の国際交流の全体像を見渡す形で、幅広く記述されている。そのなかで、朝貢のための遣唐使は「対等外交」とはいえないこと、仲麻呂の科挙による登用を疑うこと、仲麻呂をあくまで留学生とみる当時の日本側の評価の指摘などに、英雄視せずに等身大の仲麻呂像を描こうとする姿勢がみられる。その上で、もし仲麻呂が帰国したとしても、唐文化を無条件に受容しなくなった8世紀後期の時代背景から、政治中枢での活躍は難しかったろうとも主張している。

 日中交流に両国で活躍した古代の稀有けうな人物である阿倍仲麻呂の伝記として、今後の標準となる仕事といえよう。

無断転載禁止
996287 0 書評 2020/01/12 05:00:00 2020/01/20 10:51:57 (20日、読売新聞東京本社で)=萩本朋子撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/01/20200111-OYT8I50035-T.jpg?type=thumbnail

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