背高泡立草 古川真人著 集英社 1400円

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島に堆積する記憶

評・苅部 直(政治学者 東京大教授)

◇ふるかわ・まこと=1988年、福岡市生まれ。作家。『縫わんばならん』でデビュー。本作で芥川賞に決まった。
◇ふるかわ・まこと=1988年、福岡市生まれ。作家。『縫わんばならん』でデビュー。本作で芥川賞に決まった。

 長崎県平戸の沖合にある小さな島。その島に生まれ育ち、いまは福岡で暮らす兄妹きょうだい三人が、連休の日にその娘たち二人を連れて訪れ、年老いた母親に再会する。そうした一日を連作短篇たんぺんの形で描いた小説である。

 娘たちと言っても、もう数年で三十歳になろうとする年齢。その一人である奈美は「誰に話すわけでもない記憶を辿たどるよりもにぎやかなのを好む気質」と語られている。実際、六人が顔を合わせている間は会話が快くはずみ、一見、それが誰の言葉なのかわからなくなってくる。さらに意識そのものが入りまじる瞬間すらある。

 しかし「記憶」もまた、この小説では生き生きと動きだす。五人が島を訪れたのは、古い納屋の周りに生い茂る草を刈るためであった。その建物も含め、島の古い家屋をめぐる会話から、家族の昔の記憶だけでなく、彼らも知らない遠い過去のエピソードが呼び起こされ、独立した一篇として挟みこまれている。江戸時代の漁師や一九三〇年代の農民の物語。あたかも古い家屋、もしくは島そのものに残った記憶がよみがえったかのようである。

 島ですごしている間、時間はゆっくり流れていると奈美は感じているが、それはさまざまな記憶が積み重なり、そのあいだを往復する旅のような時間になっている。草刈りのための訪問は、毎年その記憶の堆積たいせきを確かめ、さらに新たな層を積み重ねる営みでもあるだろう。

 誰も使わない建物なのに、なぜ草刈りをするのかと問われて、草が生えたら「かわいそう」だからと奈美の母は答える。古い納屋も、生きた家族の一員のように感じられているのであった。建物はしだいに朽ち、人はそれよりもさらに早く老いて、世代を交代させてゆく。しかし周りに生える草は、生えては枯れる繰り返しを、おそらく永遠に続けるだろう。植物が人間の世界を眺めつつ語った小説。そんな奇妙な気配を感じさせる秀作である。

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1044524 0 書評 2020/02/09 05:00:00 2020/02/17 10:42:16 古川真人「背高泡立草」(3日)=杉本昌大撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/02/20200208-OYT8I50030-T.jpg?type=thumbnail

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