荷風を盗んだ男 「猪場毅」という波紋 善渡爾宗衛、杉山淳編 幻戯書房 4500円

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昭和文壇の人間臭さ

評・木内 昇(作家)

◇よしとに・むねえ=探偵小説をはじめとする大衆文学資料の研究家◇すぎやま・あつし=国文学研究者。
◇よしとに・むねえ=探偵小説をはじめとする大衆文学資料の研究家◇すぎやま・あつし=国文学研究者。

 自分がいっかな蓄財ができない性分のせいか、他人の金欠話に接すると心安らぐ。こと内田百●や金子光晴ら文士の、相応に働いており、さして浪費した覚えもないのに暮らしに詰まっている逸話は、読むたび共感に打ち震えてきた。(●は門がまえに月)

 さて、ここに猪場毅いばたけしなる人物がいる。大正末期から戦後にかけ、編集者として、また伊庭心猿いばしんえんなる俳人として活動したこの人もまた、窮迫している。一四の頃に富田木歩もっぽのもとで俳句を学ぶも素行不良で破門。その後、佐藤春夫の弟子となり、永井荷風に師事もするが、いずれも不和に転ずる。それというのも猪場が金に窮した、荷風や樋口一葉の筆跡を模写し、偽筆原稿や短冊を作って売ったことが露呈したため。おまけに、未発表作の春本『四畳半ふすまの下張』を勝手に世に出された荷風、憤慨もむべなるかな。彼は即刻筆誅ひっちゅうを下すのである。

 戦時中に書かれた『来訪者』なる短編がそれで、猪場らしき男の詐欺まがいな言動が生々しく著される。佐藤春夫もまた、『わが妹の記』なる猪場の伝記的小説で、放浪しつつ生き別れた妹を探す彼の半生を大変胡散うさん臭く描いている。本書はそうした猪場にまつわる小説を収めつつ、その実像に迫るのだが、不思議とうんざりした気持ちにならないのは、荷風や佐藤のみならず久保田万太郎や堀口大学ら文人が顔を出し、昭和初期の文壇を間近に感じられる楽しさからか、はたまた大作家からこてんぱんにやられる猪場への、同病(金欠病)相あわれむ心からか。 

 自らの住まいを偏奇館と名付け、他者と距離を置きながら、浅草の踊り子たちの楽屋には頻繁に通っていた荷風。その荷風への敬慕と批評を『小説永井荷風伝』にしたためた佐藤。曲者くせものは、猪場だけではないのである。彼らの歩んだ余人を寄せ付けぬ偏執な道は、いずれも相当に厄介だが、才より能より清廉であることが求められる昨今の風潮にあって、その人間臭さにはやはり心安らぐものがあるのだった。

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1044530 0 書評 2020/02/09 05:00:00 2020/02/17 10:41:46 書評(24日、読売新聞東京本社で)=稲垣政則撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/02/20200208-OYT8I50033-T.jpg?type=thumbnail

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