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ナチスを支えた科学者
評・三中信宏(進化生物学者)

本書を手に取ったのは何かの因縁だろう。以前、第二次世界大戦中の進化生物学について調べる機会があったとき、英語圏とほぼ同じ1940年代にドイツ語圏での進化理論の総合を成し遂げた中心人物である人類学者ゲルハルト・ヘーベラーやアーリア人種の優越性を実証しようとした植物遺伝学者ハインツ・ブリューヒャーがともに“アーネンエルベ”なるナチス・ドイツの研究機関に所属していたことを知った。
本訳書はアーネンエルベの創立から解体に至る歴史(1935~45年)を明らかにした画期的労作だ。脚注を含めて800ページにも及ぶ内容は評者の予想をはるかに上回っていた。
ナチス親衛隊(SS)ならびに秘密警察ゲシュタポを指揮したハインリヒ・ヒムラーは、ゲルマン民族独自の学術を構築する目的で、人文科学と自然科学を包括する国家的研究機関としてアーネンエルベを創設した。一方、ヒムラーの宿敵アルフレート・ローゼンベルクは全国指導者ローゼンベルク特別行動隊(ERR)を組織して、ヨーロッパ被占領国の貴重な図書や美術品を徹底的に略奪し破壊した。文化と学術をめぐるヒムラーとローゼンベルクの権力闘争は本書のいたるところで言及される。
ヒムラーの
ドイツ敗戦の45年にヒムラーは連合国軍の捕虜となって自殺したが、ヘーベラーは71年まで生き延びて進化学者としての名声を得た。ブリューヒャーは南米アルゼンチンに亡命したのち、コカイン栽培に手を染めたあげく91年に麻薬密売組織に暗殺された。アーネンエルベの結末は人それぞれだった。森貴史監訳。